怖い話:神社に現れた涙の巫女と、絶望の果てに見えた再生の光──五感と記憶が交錯する夜の物語

神社に現れた涙の巫女と、絶望の果てに見えた再生の光──五感と記憶が交錯する夜の物語

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――夜の静寂が、やけに重たく感じた。

 離婚してから最初の週末、俺は、家の中のどこにも居場所がないような気がして、無意識のうちに外へ出ていた。
街灯が照らすアスファルトは、薄い雨上がりの湿り気をまとい、靴底からじんわりと冷たさが伝わってくる。

 「生活力がない」と言われ、子供も元嫁のもとに引き取られてしまった。
手元には何も残らなかった。
財布の中には、昨日の自分が買った缶コーヒーのレシートが一枚。
何もかも空っぽだ、と胸の奥で何度も反芻する。
その度、喉の奥がひどく渇く。

 耳を澄ませば、遠くから車のタイヤが水たまりを切る音が聞こえてくる。
時折吹く夜風は、生温かくも冷たくもない、中途半端な気配をまといながら俺の頬を撫でる。
吐く息は白くもならず、ただ自分の存在を確かめる手段として宙に溶けていった。

 歩道の植え込みには、雨粒がまだしぶとく残っていて、信号の光を反射し、チカチカとした小さな明滅を繰り返していた。
俺は何も考えずに歩いた。
いや、「何も考えずに」などというのは嘘だ。
頭の奥では、終わりにしたい、という言葉が、鈍い金属音のようにくり返し響いていた。

 どこかで適当に死んでしまおうか――そんな思いが、ふいに胸の内を満たす。

 ふらふらと周囲をさまよいながら、俺は無意識のうちに、普段何度も通っているはずの道へと踏み込んでいた。
だが、その夜は何かが違った。

 ふと、左手に目をやると、いつもはただ通り過ぎていたはずの場所に、ぼんやりと赤い灯が浮かんでいる。
石畳の参道が、夜露に濡れ、ほのかに白く光っていた。
その先――朱塗りの鳥居が、闇に浮かび上がっている。

 「……こんなところに神社、あったか?」
 自分でも驚くほど、かすれた声が漏れた。

 鳥居をくぐると、空気の質が一変する。
さっきまで感じていた街の湿気や埃っぽさが、急に消え失せ、しんと張り詰めた冷気が肌にまとわりついた。

 参道の両脇には、苔むした石灯籠がいくつも並び、どれも淡い光をたたえている。
辺り一面に、土と草と、どこか懐かしい線香のような香りが漂っていた。

 自分の靴音が、やけに大きく響く。
心臓も、重い鉄球のように胸の奥で跳ねる。

 「ここなら、誰にも迷惑をかけずに済むだろうか」
 そんな考えが、ふと脳裏をかすめる。

 境内は思いのほか広く、夜の闇に包まれてなお、どこか静謐な美しさをまとっていた。
大きな御神木の枝が、黒々と夜空に伸びているのが見える。

 「この枝なら、重さに耐えてくれるかな」
 無意識のうちに、目で枝の太さや高さを計っている自分がいた。
手のひらにじっとりと汗が滲み、やけに指先が冷たく感じられる。

 だが、その時――
 背後から、誰かの気配が近づいてくる。

 振り返ると、白い装束に赤い袴をまとった巫女さんが、急ぎ足でこちらへやってくるのが見えた。

 彼女の顔は、月明かりと灯籠の淡い光の中で、涙に濡れていた。

 「ばかっ!」
 そう叫ぶと、巫女さんは俺の肩を強く叩いた。

 その手のひらの温もりが、意外なほどはっきりと皮膚に残る。

 驚きと戸惑いで、俺は言葉を失った。
ただ、心臓が胸の奥で跳ね上がり、全身の筋肉が一瞬で緊張する。

 彼女は、涙で頬を濡らしながら、俺を見据え、声を震わせて言った。

 「死ぬくらいなら、何でもできるでしょ!」
 その叫びは、夜の静寂を貫き、俺の胸を鋭く突き刺した。

 巫女さんはそのまま、泣きじゃくりながら社務所の方へ駆けていった。

 俺はその場に立ち尽くした。

 あまりの出来事に、頭がついていかない。
さっきまで死を考えていた自分の中に、急激に熱いものがこみ上げてくる。

 喉の奥が焼けるように熱くなり、目の奥がじわりと滲む。

 やがて、涙がぽろぽろと零れ落ちた。

 自分でも、こんなに泣けるものかと驚くほど、涙が止まらない。

 夜風が、頬に伝う涙を冷やし、心臓の鼓動と呼吸の音だけが、世界の全てになった。

 どれくらいそうしていただろうか。

 ふいに、社殿の方から足音が近づいてきた。

 ゆっくりと歩み寄ってきたのは、年配の神主さんだった。

 彼は俺の様子を見て、静かに「中へお入りなさい」と声をかけてくれた。

 その声は、どこか懐かしい、父親のような響きをもっていた。

 社務所の中は、外とは違い、ほのかな灯りと畳の匂いに包まれていた。

 神主さんは、黙って熱いお茶を差し出してくれた。
その湯気は、夜の冷え切った指先をじんわりと温めてくれる。

 俺は、言葉にならない想いをぽつぽつと話し始めた。

 過去のこと、家族のこと、夢を諦めた日のこと――。

 話すうちに、不思議と心がほどけていく感覚があった。

 神主さんはただ静かに頷き、ときおり、しわの刻まれた手で肩を叩いてくれた。

 気がつけば、心の中に、長い間忘れていた「温かさ」のようなものがじんわりと広がっていた。

 あの巫女さんに、どうしてもお礼を言いたい。

 そう思い、神主さんに尋ねてみた。

 だが、彼はゆっくりと首を横に振った。

 「この神社には、もう何年も巫女さんはいませんよ」
 その言葉に、背筋がぞくりとした。

 巫女さんの涙、叫び、温かい手のひら――それが現実だったのかどうか、分からなくなる。

 けれど、今でもあの時の光景は、鮮やかに心に焼き付いている。

 多分、あの巫女さんは、神様だったんだと思う。

 自分を叱ってくれた神様。

 生きている限り、何だってできる。

 明日から、子供の頃に諦めてしまった夢を、もう一度追いかけてみよう。

 俺は今、心の底からそう思っている。

 神様、巫女さん、神主さん、そして元嫁と子供――俺をここまで導いてくれた全てに感謝したい。

 もう一度だけ、人生をやり直してみよう。

 夜明け前の空気は、昨日までとは違って、少しだけ温かい気がした。

 俺、頑張ってみるよ。
読了
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