雨上がりの夜だった。
アスファルトに残る水たまりが街灯の光をぼんやりと映し、六月の生ぬるい風が、わずかに土の匂いを運んでいた。
俺は、まだ乾ききらないシャツの裾を握りしめながら、薄闇に沈む街を歩いていた。
夜の帳が下りきると、世界は音をひそめる。
遠く、猫の鳴き声が微かに響いた。
オカルト趣味が災いしたのか、それともただの偶然か。
普段ほとんど話すこともないAが、今夜に限って俺に近づいてきた。
Aの表情は、夜の闇に溶け込むように読み取りづらい。
彼の声がふいに低く響き、俺の耳に残った。
「なあ、○△神社で幽霊を見たんだ。
しかも、二度も。
おまえ、あのあたりに住んでるだろ。
夜中の一時には、近づかない方がいい」
その言葉に、首筋を冷たいものが撫でた。
だが、その感覚の内側に、妙な昂ぶりが生まれていた。
普通なら怖気づくはずの忠告が、俺の好奇心を煽り立てる。
Aの彼女を奪った罪悪感。
彼がまだその事実を知らないという、危うい均衡。
すべてが夜の闇に溶け合い、俺の心の奥で不協和音を奏でていた。
時計を見ると、十二時四十分。
まだ約束の時間には少し早い。
俺は、○△神社の裏手に広がる林へと足を踏み入れる。
階段を登るのが正道だが、俺は幼いころから慣れ親しんだ秘密の小径を知っていた。
湿り気を帯びた土の感触がスニーカー越しに伝わってくる。
葉擦れの音、遠くのフクロウの鳴き声。
夜の山は、静謐な恐ろしさで満ちていた。
森を抜けると、神社の石段がぼんやりと浮かび上がる。
苔むした石段の上、闇の奥に人影が揺れていた。
息を呑む。
あれがAの言っていた幽霊なのか。
心臓の鼓動がやけに大きく耳に響く。
冷たい汗が背中を伝って落ちていく。
――霊だ、ついに出会えたのか。
期待と恐怖がないまぜになった高揚感に、思わず息を止めた次の瞬間だった。
人影がひそやかに動き、月明かりがその輪郭を照らす。
刃物――それは、包丁だった。
握りしめた手が、月光を反射してわずかに光った。
Aだった。
闇に溶け込むように、階段の陰に身を潜めている。
なぜ、包丁を? 冷たい現実感が俺の全身を貫いた。
あの夜、俺の中で何かが静かに崩れていった。
夜風が、いつしか俺の汗ばんだ額をやさしく撫でていった。
世界は静かだった。
ただ、俺の心だけが、夜の裂け目に落ちていく。
怖い話:夜の裂け目に潜むもの――○△神社、十三夜の幻影
夜の裂け目に潜むもの――○△神社、十三夜の幻影
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