朝の光がまだ柔らかく店内を包み込み、私はコンビニの雑誌コーナーで立ち読みをしていた。
カフェラテの甘い香りと、焼き立てのパンの匂いが空調に乗って漂っている。
この時間帯は、世界がまだ静かに呼吸しているようだった。
そのときだった。
自動ドアが、まるで何者かの強い意志に急かされるように開いた。
乾いた靴音が床を叩き、ひとりの男が駆け込んでくる。
トラック運転手だろう、日に焼けた肌と無骨な体躯、作業着の袖口から浮かぶ白い汗の痕。
彼の顔には、ただならぬ焦燥が滲んでいた。
「ちょ、トイレ、借ります!」
掠れた声が店内を切り裂く。
額に浮かぶ脂汗は、彼が今まさに極限の状況にあることを雄弁に物語っていた。
店員は一瞬きょとんとしたが、すぐに頷き、視線でトイレの場所を示す。
男は礼もそこそこに、まるで死地から逃れる兵士のようにトイレへと駆け出した。
私は雑誌をめくる手を止め、彼の背中を見送った。
何か、張り詰めた糸のようなものが、静寂の中に走る。
トイレのドアノブに手をかけ、男は焦るようにベルトを外し始めた。
しかし、運命は残酷だった。
ドアの向こうからは、既に使用中であることを告げる冷たい表示が彼を拒絶していた。
「なんだよ、頼むよ……!」
絞り出すような呻き声とともに、男の肩が無力に落ちる。
その瞬間だった。
抑えきれぬ身体の衝動が、彼の裡から轟音となって噴き出した。
店内の空気が微かに震え、次の瞬間、鼻腔を刺す悪臭が、まるで目に見えぬ濃霧のように広がっていく。
男は、しばし茫然と立ち尽くしていた。
絶望とも、諦念ともつかぬ表情。
その横顔に、私は人間の尊厳が音を立てて崩れていくのを見た気がした。
彼の背中に宿るものは、ただ静かな悟りだった。
私はふと、ポケットからスマートフォンを取り出し、トイレの中にいるであろう友人に短いメッセージを送った。
「今日は……トイレから、出ないほうがいいかもしれないよ」
指先が震えていたのは、笑いをこらえているせいではなく、なぜか自分自身の中に生まれた小さな哀しみのためだった。
私は、コンビニの自動ドアをくぐり、初夏の朝の光の中へと歩き出す。
背後では、まだあの男が静かに立ち尽くしている。
すべてが一瞬の出来事だったが、その残り香とともに、私の心に奇妙な余韻だけが、いつまでも消えずに残っていた。
笑える話:トラック運転手の疾走――コンビニの静寂を破る朝の一幕
トラック運転手の疾走――コンビニの静寂を破る朝の一幕
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