「呪いの人形」と盗癖：無意識・社会・象徴が交差する日常ドラマの深層構造

1. これは「逸脱と日常の再帰性」についての物語である

本稿が扱う出来事は、単なる盗難騒動にとどまらず、個人の無意識的衝動、コミュニティの力学、そして象徴的事物（黒人人形）に託された意味が複雑に絡み合うドラマである。
ここでは、心理・社会・哲学・象徴・倫理の各視点から、多層的にこのエピソードを読み解く。

2. 表層：出来事の整理と問題提起

物語は、子ども会役員である語り手が、噂の「手癖の悪い」aさんを含む7人を自宅に招いたことから始まる。
パーティー後、曰く付きの黒人人形が忽然と消失。
後日、aさん宅でゴミとして発見されるが、その経緯でaさんの盗癖が明るみに出る。
語り手は警察沙汰を思いとどまり、心療内科への通院を条件に和解を模索する。

3. 中層：心理的・社会的な分析

(1) 盗癖の心理――病理と自己制御の狭間
aさんは「欲しくないのに手が動く」と述べている。
これは衝動制御障害（インパルスコントロール障害）の一種であり、行動が強迫的に生起する点で、意図的な悪意とは区別される。
ここには、個人の意志や道徳感情を超えた、「無意識的欲動」の存在が示唆されている。

(2) 日常共同体における逸脱者の力学
「手癖が悪い」と噂されつつも、aさんは子ども会というコミュニティの一員であり続ける。
盗難発覚後も即座に排除されず、警察介入ではなく治療を選択する点に、日本型コミュニティの「包摂」と「私的解決」志向が表れている。
つまり、個人の逸脱が共同体の価値観や維持戦略とせめぎ合う構造である。

4. 深層：哲学的・象徴的読解

(1) 「呪いの人形」という象徴性――排除できない他者
黒人人形は義母から押し付けられ、捨てても戻ってくる曰く付きの存在である。
これはフロイト的な「不気味なもの」（Unheimliche）――馴染み深いが排除できない異物――の典型であり、家庭の外部性・不和や無意識のトラウマの象徴とも読める。
また、人形が「自らついて行ったのか」という語りの揺らぎは、物のエージェンシー（物が自律的に振る舞うという感覚）への畏れや、責任の曖昧化を示唆する。

(2) 実存的選択と倫理的ジレンマ
被害者家族は「警察沙汰か、私的和解か」という実存的選択に迫られる。
ここでは「正義の行使（通報）」と「弱者への配慮（治療）」という価値観が衝突する。
加えて、盗品が「呪いの人形」であるがために、返還されても歓迎されず、むしろ「引き取ってほしかった」と語る点に、「所有」と「排除」の倫理的逆説が浮かび上がる。

5. 統合的視点：逸脱、象徴、共同体の再帰性

この物語は、一見すると些細な家庭内トラブルだが、実は「排除できないもの」「逸脱と包摂の境界」「倫理的選択の曖昧性」という普遍的主題を内包している。
黒人人形の反復的な帰還は、個人や社会が「忘れたいが忘れられない問題」と対峙し続ける人間存在の宿命を象徴しているとも言える。

6. 結論：人間存在の多義性へのまなざし

「泥棒に盗まれても戻ってくる黒人人形」という寓話的エピソードは、逸脱と日常、排除と包摂、意志と無意識といった二項対立のあわいに人間の多義性を浮かび上がらせる。
私たちは、望まぬものを排除しきれず、逸脱する他者を完全に断罪することもできない。
だからこそ、日常の些事に「不気味なもの」が忍び込み、和解や選択の不確実性が生じるのである。
これは「異物との共存」という普遍的な人間条件を問い直す物語であった。