恋愛の話:終電のホーム、君の名を思い出す夜に

終電のホーム、君の名を思い出す夜に

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六月の雨は、終わりかけた春の記憶を静かに洗い流していた。
夜の街を歩きながら、私は駅までの道をゆっくりと辿っていた。
コンクリートに反射する街灯の灯りが、まるで遠い昔の約束のように淡く滲んでいる。
傘越しに聞こえる雨音は単調で、しかしどこか心を締めつける響きがあった。

 社会人になってからというもの、時間は加速度を増して私のもとを通り過ぎていく。
あの頃——大学のゼミで隣に座っていたS君のことを、私はいまだに忘れることができなかった。
言葉にできなかった想いが、心の奥に重く沈殿している。

 月に一度、ゼミの仲間たちと集まる習慣だけが、学生時代と私をかろうじて繋ぎとめていた。
けれど仕事が忙しくなるにつれて、その細い糸さえも、次第に緩んでいく。
出席できない日が増え、私は少しずつ彼とすれ違っていった。

 今夜もまた、終電間際まで職場に残り、ようやく駅への階段を下りていく。
湿った空気が頬を撫で、手すりの冷たさが現実を思い出させた。
電車のプラットフォームには、夜更けの静寂が横たわっている。
遠くで列車の警笛が、寂しげな犬の遠吠えのように響いた。

 スマートフォンが震える。
ふとポケットから取り出すと、S君からLINEの通知が届いていた。

「ゼミ飲み来れなくて大丈夫? 仕事忙しいのかな。
今日は会えると思ってたから残念。
また会えるのを待ってるね」

 画面の隅に、お疲れさまのスタンプが添えられていた。
その一文を何度も読み返し、私は思わず唇を噛む。
彼の言葉が、優しい雨のしずくのように私の心に落ちていく。

 ——会えなくても、想いは消えていない。
むしろ、会えない時間が彼への気持ちをより鮮やかに浮かび上がらせていた。

 電車がやってきて、開いたドアから流れ込む夜の冷気に、私は小さく身震いする。
窓に映る自分の顔は、どこか頼りなく、けれど決意の色を帯びていた。
次に会えたときこそ、私はこの胸の奥にしまいこんだ言葉を、まっすぐに伝えよう。
S君、あなたに。

 気づけば、雨はいつの間にかやんでいた。
夜の帳が、静かに、優しく、私を次の朝へと送り出そうとしていた。
読了
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