修羅場な話:娘の呼吸が止まった夜、私は母であることの狂気と覚悟を知った——タバコの煙と恐怖、絶望と再生の物語

娘の呼吸が止まった夜、私は母であることの狂気と覚悟を知った——タバコの煙と恐怖、絶望と再生の物語

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もし今、当時の私を振り返ることができるなら、きっとこう思うだろう。
「あれは私の修羅場だった」と。
しかし、もしかしたら、それ以上に夫にとっても、形の違う地獄だったのかもしれない。
私たちの新しい家族の物語は、決して希望だけに彩られていたわけではなかった。

結婚した当初、私たちは未来について幾度となく語り合った。
子供が生まれたら、夫はタバコをやめると約束してくれた。
私はそれを信じていた。
けれど、いざ娘が生まれてみると、約束は煙のように空へと消えた。
夫は変わらずタバコを吸い続けていた。
彼の指先にはいつも薄茶色のヤニが染みつき、ベランダの隅には吸い殻が山のように積み上がっていく。
冬の朝、外気は冷たく澄んでいるのに、ガラス戸越しに漂う煙の匂いは、私の喉奥にじんわりと苦味を残した。

私の実家も、夫の実家も、家族全員がヘビースモーカーだった。
壁紙はどこもくすんだ黄色に染まり、家具の隙間には煙草の灰が潜んでいた。
幼い頃から、私はその匂いに慣れていたはずだった。
しかし、娘が生まれてからは、世界が一変した。
彼女の小さな身体、小さな手、小さな指。
それらが煙に晒されることを想像するだけで、胸の奥がざわついた。
だから私は里帰り出産を諦め、一人きりで育児に臨むことにした。
狭いリビングの空気は、私と娘だけの呼吸で満ちていた。

夫は「家ではベランダで吸うから」と言い訳めいたことを繰り返した。
寒い夜も、雨の日も、彼はガラス戸の向こうで煙をくゆらせていた。
その姿を横目に、私は娘の寝息に耳を澄ます。
夫の仕事中、私は心細さと戦いながら、毎日を必死に過ごしていた。

——あの日は、いつもより静かな午前だった。
冬の陽光がレースのカーテン越しに淡く差し込み、部屋の隅に柔らかな影を落としていた。
娘は私のすぐ隣、淡いピンクの毛布にくるまれ、規則正しい寝息を立てていた。
その寝息が、突然、途切れた。

最初は気のせいかと思った。
だが、耳を澄ませても、あの小さな、か細い息の音が聞こえない。
私の心臓が、鼓動を一つ飛ばした。
その瞬間、世界のすべてがスローモーションになった。
私は娘の名を必死に呼んだ。
声は震え、喉の奥が焼けつくように痛かった。
娘は目を閉じたまま、ぐにゃりと力なく横たわっている。
私は手の震えを押さえきれず、彼女の服を乱暴に引き剥がし、青白い胸元に手を当てた。
冷たい指先、かすかな湿度。
娘はまるで人形のようだった。

私は泣き叫びながら胸を叩いた。
手のひらに伝わる、予想以上の柔らかさ。
身体の奥から、恐怖が波のように押し寄せてきた。
口の中はカラカラに乾き、呼吸は浅く速くなる。
時間が歪む。
私の世界には、娘の身体と自分の手のひらの感覚しか残っていなかった。

「お願い、生きて…」そう祈りながら、私は必死に心臓マッサージをした。
涙が頬をつたう。
どれほどの時間が経ったのか、わからなかった。
ふいに、娘が息を吸い込んだ。
小さな体が大きく震え、声にならない叫びをあげた。
次の瞬間、彼女は激しく泣き出した。
その泣き声は、私の中に溜まっていた黒い恐怖を一瞬で吹き飛ばした。
私は娘を抱きしめ、自分も嗚咽を漏らした。
腕の中で感じる彼女の温もり、湿った髪の匂い、泣き声に混じる唾液の味。
全てが、現実に引き戻してくれる。

救急車で病院に運ばれ、幾つもの検査を受けた。
白い蛍光灯の下、冷たいベッドに横たわる娘を見つめる時間は、永遠のように感じられた。
医師は「異常は見つからない」と言い、原因は不明だと肩をすくめた。
「乳幼児突然タヒのようなものかもしれませんね」その言葉が、私の脳裏に深く刻まれた。

——私は知っていた。
乳幼児突然タヒ(SIDS)の原因には、ミルク育児やうつぶせ寝、そして何より「タバコ」が関係していることを。
けれど、夫のタバコをやめさせることができなかった。
私の中には、怒りと自責、絶望と恐怖が、複雑に絡み合って渦巻いていた。

夜、娘が眠った後、私は夫の帰りを待った。
部屋は静寂に包まれていたが、心臓の鼓動だけがやけに大きく響く。
夫が玄関を開ける音、足音、コートを脱ぐ仕草。
そのすべてに、私は神経を研ぎ澄ましていた。

夫の顔を見つめて、私は決意を込めて言った。
「タバコをやめてほしいの。
もう一度、お願い」夫は顔をしかめ、低い声で「俺はやめるつもりない」と突っぱねた。
私たちの間に、冷たい沈黙が流れる。
私は唇を噛みしめ、心の奥に潜んでいた狂気に手を伸ばした。

「次にタバコを吸ったら、私の指を落とす。
あんたの指じゃなくて、私の指。
その意味、わかる?倉庫に電動ノコギリあるよね」と、私は静かに告げた。
声は震えていなかった。
ただ、冷たく、静かだった。
夫の目が一瞬見開かれ、怒りと戸惑いが交錯する。
「俺を脅す気か」彼は声を荒げたが、私はじっと目を逸らさずに言った。
「娘の命が脅かされた今、私はなりふり構わない。
本気だよ」

部屋の空気は重く、窓の外からは遠く車の音だけが聞こえた。
私は自分が「キチ」だと思われてもかまわなかった。
娘の命を守るためなら、どんな手段も選ばない。
夫の怒り、呆れ、恐怖。
そのすべてを私は受け止めた。
私の中の母性は、もう理性や常識を超えていた。

結局、夫は根負けした。
「もう…お前には敵わない」とため息混じりに言い、タバコを捨ててくれた。
その後、彼の口から「嫁がキチ」と冗談めかして言われることが増えたが、私は気にしなかった。
娘が元気に私の鼻を指でつつき、笑い声をあげてくれるなら、それで十分だった。
もしあの時、娘を失っていたら、私は本当に「壊れて」しまっていただろう。

「私キチだから、あなたのワガママは聞こえません。
自分でやって下さ〜い」そう言いながら、今では夫の小さな不満や愚痴も、受け流せるようになった。
かつては些細なことでぶつかっていた私たちだったが、あの日を境に、ケンカは激減した。

娘の寝顔を見つめる静かな夜、私は時折、あの恐怖の瞬間を思い出す。
けれど、今はその余韻が、私の覚悟の証になっている。
私たち家族は、あの修羅場を経て、少しだけ強くなれたのかもしれない。
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