不思議な話:静寂の幼稚園車庫、園児たちの奇妙な「ラッキー」合唱とその不気味な余韻

静寂の幼稚園車庫、園児たちの奇妙な「ラッキー」合唱とその不気味な余韻

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私は、地方の小さな工務店に勤めている。
季節は移ろいの気配を帯びた晩春、朝の空気はほんのりと冷たく、どこか湿り気を孕んでいた。
時刻は午前8時半を少し回ったころ。
私はエンジン音の余韻を残したトラックを、静謐な幼稚園の裏手にあるバス車庫の脇へそっと停めた。

この幼稚園は、長い歴史を持つ寺院が母体となって運営している。
園舎は新しさと古さが無理なく同居し、正面には淡いクリーム色の壁、その奥には本堂の重厚な屋根瓦が、朝日に鈍く光を返していた。
園庭は広々としているが、地面は固く踏みしめられ、砂埃が朝露でわずかに湿っている。
バスが出入りするため、余計なものはほとんどなく、遠い端にだけ、灰色のコンクリートで造られた古びた遊具がぽつんと置かれていた。
その側に、色褪せた犬小屋が一つ、空っぽのまま静かに佇んでいる。

私は車庫のトタン屋根修理のため、工具箱を手に取り、剥がれた屋根材の状態を確認する。
手に伝わる金属の冷たさ、足元の砂利の不規則な感触。
空気はやや冷たく、鼻腔には古い木材と鉄の匂い、そしてどこか懐かしい線香の香りが微かに漂っていた。
遠くからは、寺の鐘がかすかに響き、空間全体に張り詰めたような静けさが満ちている。

軒下に足場を組み立て、慎重に板を重ねていく。
その小さな振動が、地面へ伝わり、私の身体に微かな緊張を生み出す。
ふとトラックの方に振り返り、屋根材を取りに歩み寄ったその瞬間、不意に視界の端に鮮やかな色彩が揺れるのを捉えた。

グレーのコンクリート遊具の上に、10人ほどの園児たちが集まっている。
彼らは鮮やかな黄色や赤、青色の帽子をかぶり、制服の白いシャツが朝日を反射して柔らかく光っていた。
その姿はまるで、灰色の遊具の上に咲く花束のように見えた。
子どもたちは円を描くように集まり、時折ひそひそと声を交わしながら、こちらを興味津々に見ているようだった。

幼稚園や小学校で作業をしていると、いつも子供たちの好奇の視線を感じるものだ。
だが、この日、この場所には、どこか説明のつかない静謐さと、ほのかな緊張感が漂っていた。
遊具から車庫までは距離があり、作業中の安全に問題はないと判断し、私は再び足場へと上がった。

その時だった。
背後から、妙に間延びした、舌足らずな声が響いた。

「らぁっきぃーーー、らぁっきぃーーー」

一瞬、私の耳はその音を疑った。
何かの合図か、遊びの一環か。
声は一定のリズムを刻み、園児たちの高く丸い声が重なり合って、どこか奇妙な旋律を生み出している。
その響きは、空気の湿度に紛れて広がり、私の背筋をじわじわと這い上がってくるようだった。

「らぁっきぃーーー、らぁっきぃーーー」

私は作業を止めて振り返った。
まるでその合図を待っていたかのように、声はぴたりと止む。
園児たちは、何事もなかったかのようにそれぞれ別の方向を見ている。
誰も私を直視してはいない。
だが、それがかえって不自然に映る。
私は戸惑いながらも、作業に意識を戻した。

すると、再び「ラッキー」の連呼が始まる。

「らぁっきぃーーー、らぁっきぃーーー」

その声には、明るさや楽しさといった感情が感じられない。
むしろ、どこか無機質で、儀式めいた響きさえ帯びている。
私は再び遊具の方向を振り返った。
だが、またしても声は止む。
遊具の上の子供たちは、誰ひとり私の方を見ようとせず、視線は地面や空や互いの背中へと散らばっている。

私は思い出した。
来る途中、幼稚園の庭の片隅に犬小屋があった。
もしかすると、園で飼われている犬の名前が「ラッキー」なのかもしれない。
そう思い、犬小屋を探したが、中は空っぽで、犬の姿はどこにもない。
園児たちの目線の先にも、何も動くものは見当たらない。
私の中に、得体の知れぬ違和感が、じわじわと広がっていく。

私は作業に戻り、手元の金属板に手を伸ばす。
すると、またしても「ラッキー」のコールが始まる。
声のリズムは変わらず、まるで何かの呪文のように耳にまとわりつく。

「らぁっきぃーーー、らぁっきぃーーー」

私は再び振り返る。
声はぴたりと止み、園児たちは一斉に無関心を装う。
私は試しに、10秒おきに振り返ることを繰り返してみる。
そのたびに、「らぁっきぃーーー」は止まり、私が視線を外すと再び始まる。
まるで、私が見ていない間だけ、彼らの奇妙な合唱が許されているかのようだった。

私は冷や汗をかき始めた。
空気が急に重くなったように感じる。
胸の奥がじくじくと痛み、指先がかすかに震える。
呼吸が浅くなり、口の中が急激に乾いていく。
鼓動が異様に大きく耳に響き、背中には氷のような冷たさが貼り付いた。

私は気づいた。
振り返った時、園児たちは決して私を見ない。
まるで、私の視線を避けることが決まりであるかのように。
彼らの小さな体は、どこか不自然に硬直しているようにも見えた。
表情は無表情に近く、ただその小さな手だけが、膝の上や遊具の縁を握りしめている。

私の頭の中で、過去の記憶が断片的に蘇る。
かつて、似たような違和感を感じたのは、祖父の葬儀での静寂な本堂だった。
子供の頃、何か得体の知れないものが背後にいるような気配に怯えたあの感覚。
それが今、目の前の現実と重なり合う。

「らぁっきぃーーー、らぁっきぃーーー」

声は私の意識の裏側にこびりつき、心の奥底に冷たい水が流れ込むような恐怖を呼び起こす。
私はもう、振り返ることができなくなっていた。
手元の作業に意識を集中しようとするが、背後の声が頭から離れない。

やがて、幼稚園の始業を告げるチャイムが、鋭い金属音となって園庭に響き渡った。
その音は、私の緊張を一瞬だけ解きほぐした。
園児たちは声を上げることなく、遊具から一斉に飛び降り、列を作って園舎へと戻っていった。
その小さな背中たちは、朝日に照らされて淡く輝き、やがて園舎の扉の向こうに消えていった。

私はしばらく、その場で動けずにいた。
自分の呼吸音だけが、静まり返った車庫の中に響いている。
あの「ラッキー」の合唱は、何だったのか。
あの子供たちは、なぜ私の視線を避け続けたのか。

作業を再開しながらも、私は時折、視界の端に消えていった園児たちの姿を思い出していた。
その日、車庫のトタン屋根を叩く金槌の音は、いつもよりも鈍く、重く感じられた。

そして今もなお、あの奇妙な「らぁっきぃーーー」という余韻が、私の心のどこかにこびりついている。
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