春の終わり、街路樹の若葉が柔らかい光を透かしていた。
窓の外には、薄い雲が流れ、どこか遠くで犬の鳴き声が響いた。
私は台所に立ち、苦いコーヒーを口に含む。
微かな酸味が、胸の奥に沈んでいた不安の澱をそっと浮かび上がらせる。
姉が再婚した。
相手は、姉より十歳も歳上の男性だった。
彼もまた、人生の荒波をくぐり抜けてきた人で、前妻を二十年以上も前に亡くしていたという。
彼には一人息子がいて、その息子が結婚したのを機に、姉と籍を入れることにしたらしい。
家族は皆、手放しで祝福した。
新しい出発を、まるで春の陽だまりのように温かく受け入れた。
母は涙ぐみ、父はただ無言で姉の肩を叩いていた。
「めでたしめでたし」――誰もがそう思ったはずだった。
だが、その静けさに突如として波紋が広がった。
トメ――夫の母だ。
彼女だけが、なぜか頑なに反対の意を表明したのだ。
「嫁子さんのお姉さんは、うちのお兄ちゃんのお嫁さんになるべきだったのに」
その声は、まるで錆びついた刃物のように私の耳を裂いた。
義兄はすでに結婚して三年が経ち、仲睦まじく暮らしている。
子どもこそいないが、それが何だというのだろう。
トメは続ける。
「お姉さんなら、男の子を産める証明があるでしょう?手っ取り早くていいじゃない。
甥たちは実家に預ければいいのよ」
私は、心の中で何かが音を立てて崩れ落ちるのを感じた。
言葉にならない怒りと悲しみが、胸の奥で渦を巻く。
思わず拳を握りしめた。
春のやわらかな風さえ、今はどこか冷たく感じられた。
その夜、夫と並んで歩いた帰り道。
街灯に照らされたアスファルトが、雨上がりのように鈍く光っていた。
私はふと立ち止まり、息を整える。
「披露宴に呼ばれても、私は行かないから」そう言ったトメの言葉が、何度も頭の中で反響する。
「呼ぶつもりはありませんが、何か?」
私は、静かに、しかし確かにそう言い返した。
言葉は冷たい石のように重く、けれど妙に心地よかった。
すっきりした――そう思った瞬間、春の宵闇に小さな風が吹き抜けた。
私はようやく、ほんの少しだけ、自分の心に正直になれた気がした。
それでも、苦いコーヒーの味はしばらく消えなかった。
スカッとする話:春の静けさ、母の叫び――再婚をめぐる夕暮れの記憶
春の静けさ、母の叫び――再婚をめぐる夕暮れの記憶
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