私の家族の物語は、薄曇りの日の午後のように静かで重く、時折、鈍い雷鳴のような不穏さを孕んでいます。
正直に言えば、私の人生には、どうしても受け入れがたい「厄介な身内」が存在します。
それは、私より4歳年上の兄――幼少期から私たち家族にとっては避けがたい存在であり、同時に私の心に深く影を落とし続けてきた人物です。
兄は子供の頃から、まるで周囲の空気を震わせるような粗暴さを纏い、時にその目は、冷たい金属のように鈍く光っていました。
彼が怒りを爆発させると、家の中に小さな地震が起きたような感覚が走る。
私や両親は、何度も彼の大声や荒々しい物音で心臓を縮め、無意識に肩をすくめて過ごす日々が続きました。
兄は自分の機嫌が良い時だけ、まるで太陽が一瞬だけ雲間から顔を出すように愛想よく振る舞うのですが、その裏にはいつもどこか気まぐれで、他人の心を逆撫でする冷淡さが潜んでいました。
私の中には、兄の一挙手一投足に怯えながらも、それでも家族という枷から逃れられない苛立ちが常に渦巻いていたのです。
家の空気は、甘いお菓子の匂いと、微かに焦げたような緊張感が混じり合い、どこか歪んでいました。
そんな日常に耐えかねて、私は成長と共に兄との距離をできる限り保ち、心のどこかで「家族だけれど、彼とは別の世界の住人なんだ」と自分に言い聞かせて暮らしていました。
***
20数年前、季節は春から初夏へと移ろい始めたころ、私は大学生活をスタートさせました。
新しい環境の中で、自由の香りと不安の入り混じった日々を送る一方で、実家では兄が相変わらず停滞した時間の中に取り残されていました。
兄は大学受験に何度も失敗し、短期バイトを始めてはすぐに辞めるという、どこか漂流者のような生活を繰り返していたのです。
家中には、兄の重たい溜息や、机を乱暴に叩く音が反響し、時折、父の小さな咳払いと母のため息が交錯していました。
父が兄の生活態度を厳しく指摘するたび、兄は感情を爆発させて家を飛び出し、しばらくして何事もなかったかのように戻ってくる。
そんなことが、まるで春の嵐のように何度も繰り返されていました。
私たちの実家は、古びた商店街の一角に位置していて、1階が店舗、2階が家族の居住スペースという作りでした。
木の床は年月を経て沈み、夜になると家鳴りが響き、窓の外には街灯の淡い光が揺れていました。
近所の目線を気にする両親は、年頃の長男が昼間から家でゴロゴロしていることを恥ずかしく思い、来客があるたびに落ち着かない表情を浮かべていました。
空気は湿り気を帯び、気まずさと焦燥感が家中に満ちていました。
ある晩、両親は静かに話し合い、兄を市内のアパートに移すことを決心します。
週末、不動産屋を何軒も巡り、ようやく見つけたのは、木造二階建ての少し時代遅れなアパート。
外壁の塗装は剥げかかり、階段は古びた木が軋みをあげていました。
兄の新しい部屋は、二階の角に位置し、薄茶色の畳と古い押し入れ、そして小さな窓からは、午後遅くの斜陽が斜めに差し込む構造でした。
2Kの間取りで、風呂とトイレも付いており、一人暮らしには十分な広さでした。
引越し当日、私は両親と共に兄の荷物を運び込みました。
段ボール箱を持ち上げるたび、埃と古本の匂いが鼻をつき、部屋の隅には長年の住人が残したであろう小さな傷や染みが点在していました。
兄は、両親から離れられることにどこか安堵しているようで、必要最低限の言葉だけを発し、黙々と荷物を整理していました。
その背中はやや丸まり、表情には無表情の仮面が張り付いていました。
私や両親は、「これで、ようやく少しは心が休まるのではないか」と思いつつ、その思いを誰も口に出すことはありませんでした。
部屋を後にする時、古い畳から立ち上る微かな湿気と、窓の外の静かな街並みが、不思議と心に残りました。
***
しかし、引越しから1ヶ月ほど経ったある晩、私は実家で不穏な空気を感じました。
玄関の扉が乱暴に開かれ、兄が帰ってきたのです。
兄は興奮気味に言いました。
「あの部屋、なんかおかしい。
すぐに引越したい。
」声はいつもより低く、どこか怯えた響きを含んでいました。
両親は呆れたように目を見合わせ、静かな溜息をつきました。
兄は続けて、夜になると胸の上に何か重いものがのしかかるような感覚があり、ここに住むようになってから彼女もぱったり来なくなったのだ、と訴えました。
私も両親も、兄が霊感など持ち合わせていないことを知っていたので、最初は取り合いませんでした。
それどころか、兄は普段から神経が太く、他人の迷惑など意に介さないタイプだと思っていたのです。
父は無表情のまま「馬鹿なことを言うな」と一蹴し、兄を追い返しました。
その晩、家の中には兄の怒りと寂しさが混じったような空気が残り、私は自室で窓を開けると、外から微かな夜風と遠くの犬の鳴き声が漂ってきました。
その後も兄は何度も電話をかけてきては同じ話を繰り返しましたが、両親は徐々にその声を無視するようになりました。
電話の切れる音の後に残る静けさは、どこか重苦しく、私の胸の奥に小さな棘を残しました。
***
数週間が経ち、ある夜遅く、兄が再び実家を訪れ、両親とじっくり話し込んでいました。
その場の空気は緊張していて、兄の声もどこか湿り気のある低音で響いていました。
兄は語り始めました――ある晩、ゴミを捨てに外へ出たところ、隣室の男性と初めて顔を合わせたというのです。
その男性は物静かな中年で、長年アパートに住んでいるが、早朝出勤のため兄とはなかなか会う機会がなかったらしい。
兄は、つい自分の部屋の異変を口にしてしまいました。
「俺の部屋、何か変なんですよ。
」
すると、隣人は少し間を置いて、静かに答えました。
「そりゃあそうだよ。
人が亡くなった部屋だもん。
」光の加減で、隣人の顔は一瞬だけ陰になりました。
兄は半信半疑ながら、心臓が小さく波打つのを感じていたそうです。
「だからあなたの部屋、家賃が半分でしょ。
」
隣人は淡々と言い放ちました。
その言葉の重みは、部屋に沈む埃のようにじわじわと広がっていきました。
実際、両親が払っていた家賃は隣人の半額であり、両親自身もその理由を深く考えたことはありませんでした。
当時は「告知義務」という言葉すら一般的ではなく、私たちはただ驚きとやるせなさを覚えました。
家族会議の末、両親はようやく重い腰を上げ、兄の再引越しを認めることにしたのでした。
その決断までの静かな夜の時間、誰もが心の奥底で居心地の悪さと奇妙な安堵を感じていたと思います。
家族の間に流れる空気は、どこか薄暗く、重たいものでした。
***
時は流れました。
私は大学を卒業し、就職、結婚を経て、他県で新しい家庭を築きました。
最初の数年は、見知らぬ土地の冷たい空気と人の波に揉まれ、時々、ふと実家の畳の匂いや、あのアパートの薄暗さを思い出すことがありました。
年月が過ぎるにつれ、家族との連絡も間遠になり、兄のことも遠い過去の記憶として埋もれていきました。
ある日、ネットニュースで「事故物件サイト」が話題になっているのを目にしました。
テレビ画面には、炎のマークが地図上に点在し、どこか現実離れした不気味さと、好奇心をそそる雰囲気を感じました。
私は何かに導かれるようにパソコンを開き、ふるさとの街の地図をクリックしました。
都会では炎のマークが多すぎて埋もれてしまうのですが、地方都市の地図は、静寂の中にぽつりと赤い印が灯るだけで、その一つひとつが強く訴えかけてくるようでした。
兄がかつて住んでいたアパートの場所には、確かに炎のマークがありました。
詳細を見て、私はしばし言葉を失いました。
そこは、家庭内暴力を繰り返していた息子を父親が殺害し、その後に父親が自殺したという、まさに「曰く付き」の物件だったのです。
薄暗い廊下や、夜に漂う重苦しい空気、兄が語っていた胸を圧し潰すような感覚――すべてがその歴史と繋がっていたのかもしれません。
思い返せば、兄はあの部屋に住んでいた頃、こんなことも口にしていました。
「あの部屋にいると、彼女はすぐ帰るし、空気が重いし最悪。
でも、Aが来ると空気が変わるんだ。
」Aさんは兄の数少ない友人で、私も何度か顔を合わせたことがあります。
柔らかな物腰で、穏やかな微笑みを絶やさない人でした。
失礼ながら、当時の私には彼の存在があまりにも「普通」に思え、兄の言葉も深く受け止めることはありませんでした。
しかし振り返ると、Aさんは家族との関係が良く、温かいオーラを纏った人物だった。
もしかしたら、あの部屋に漂う「何か」にとって、兄は不協和音をもたらす存在であり、Aさんは癒やしをもたらす存在だったのかもしれない――そんな想像が浮かびます。
「相性が大事」とは、必ずしも人間関係だけの話ではないのだと、今では思うのです。
***
余談ですが、兄はあのアパートを出た後、精神の均衡を崩し、入退院を繰り返していると風の噂で聞きました。
それが、あの曰く付きの部屋との因果なのか、あるいは彼自身にもともとあった闇が表に出てしまっただけなのか、今となっては誰にも分かりません。
けれど、あの部屋で感じた重苦しさ、家族が抱えてきた不安や傷跡は、私の記憶の奥底で今もなお、静かに燻り続けているのです。
夜更け、静まり返った自室でパソコンの画面を閉じる時、私は20年前のあの湿った畳の感触と、兄の沈んだ背中、そして家族が無意識に避けてきた「何か」の存在を、はっきりと心に思い出すのです。
怖い話:20年前の記憶が甦る――重苦しき家族の影と、曰く付きアパートで兄が感じた異変の全貌
20年前の記憶が甦る――重苦しき家族の影と、曰く付きアパートで兄が感じた異変の全貌
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