夏の黄昏は、息苦しいほどの蒸し暑さを部屋の隅々にまで満たしていた。
二階の薄暗い部屋で、私は汗ばんだ額をタオルで拭いながら、怠惰な昼寝の余韻に浸っていた。
窓の外では、茜色の空がゆっくりと夜の帳を下ろし始めている。
そのときだった。
――ピンポーン、ピンポーン。
耳に馴染んだはずのインターホンの音が、この夕暮れにはどこか異質に響いた。
家には私しかいない。
客人など来るはずもなく、面倒な思いが先に立つ。
私は布団に顔を埋め、聞こえぬふりを決め込んだ。
だが、
――ピンポーン、ピンポーン。
――ピンポーン、ピンポーン。
執拗に打ち鳴らされるチャイム。
まるで誰かが、何かを訴えているようだった。
重たいまぶたを開き、私はそっと二階の窓から玄関を見下ろす。
薄闇の中、白い服をまとった四十がらみの女が立っていた。
その傍らには、麦藁帽子の少女。
彼女もまた、母親とお揃いの白いワンピースを着ている。
――宗教の勧誘か。
最近は物騒な話も耳にする。
だが、子どもを連れているのが妙に引っかかった。
決まり悪さと苛立ちがせめぎ合う中、私は階段を下り、玄関のドアノブに手をかける。
だが、勢いよく開け放った先には、誰の姿もなかった。
蝉の声だけが、途切れ途切れに響いている。
私は小さく舌打ちし、再び二階へ。
布団に身を沈めようとした、まさにそのとき――
――ピンポーン、ピンポーン。
まただ。
窓から見下ろすと、あの白い親子が、先ほどと同じ場所に立っていた。
まるで時が巻き戻されたかのような錯覚。
今度こそ、と私は怒りを胸に階下へ駆け下り、勢いよく玄関を開け放った。
だが、そこには再び、誰の気配もなかった。
ドアの前には風すら立たず、ただ夜の気配がじっと張り詰めている。
私は呆然と立ち尽くす。
さっきまで確かに鳴り響いていたチャイム。
玄関の周囲に隠れられる場所などない。
にもかかわらず、親子の姿は煙のように消えていた。
その時、
――ピンポーン、ピンポーン。
手の届く距離にあるインターホンが、誰もいない玄関先で、虚ろに鳴り響いていた。
私は逃げるように家の中へ駆け戻り、鍵をかけ、部屋のカーテンを引いた。
冷たい汗が背中をつたう。
布団に潜り込んで、息を殺す。
しばらく、チャイムは鳴り続けた。
だが、もう一度窓から外を覗く勇気は、私には残されていなかった。
*
朝が来た。
空気は湿り気を帯びて重く、昨日の出来事も夢の残滓のように思えた。
「ほら、あんたに手紙。
女の人からみたいよ」
母が、にやにやと意地悪く微笑んで私を起こす。
白い封筒。
差出人の名はどこにも書かれていない。
それなのに、なぜ母は女からだと分かったのだろう。
不思議に思いながらも、私は封を切った。
便箋には、整った文字で、たった一言だけが記されていた。
――なにかがあなたの家へ入ろうとしています。
その言葉が、私の心の奥底にひんやりとした影を落とした。
夏の朝の光は、まるで何事もなかったかのように眩しく差し込んでいた。
怖い話:夏の残響、白き影の呼び鈴
夏の残響、白き影の呼び鈴
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