私はいつも通り、ドラッグストアのレジカウンターの裏に立っていた。
午後二時を少し回ったばかりの店内は、窓から差し込む春の日差しが床タイルに淡い模様を描き、商品棚の間に柔らかな陰影を落としている。
エアコンの送風口からは、微かに薬品と洗剤が混じった独特な匂いが漂ってきて、鼻の奥に仄かな刺激を残す。
耳を澄ますと、冷蔵庫のモーター音と、レジ横のPOPが時おりカサリと揺れる音、遠くの通りから聞こえる車のエンジン音が、静かなBGMのように店内を包み込んでいた。
そんな静寂を破るように、店の自動ドアが開く微かな機械音とともに、50代半ばほどのおじさんがゆっくりと店内に入ってきた。
彼の姿は、どこか疲れたような、それでいてどこか決意を秘めた足取り。
厚手のチェックシャツに少し色褪せたジーンズ、手には小さな紙袋をぶら下げている。
彼の髪はうっすらと白髪が混ざり、額には薄い汗が浮かんでいた。
私の目の前に来ると、一瞬視線を泳がせ、それから意を決したように声をかけてきた。
「すみません、股間が…とてもかゆいんだけど、ムヒか何か、よく効く塗り薬ない?」
その声は思ったよりも低く、どこか困惑と恥じらい、そして一縷の希望が混じっていた。
私は一瞬、言葉に詰まる。
その瞬間、心臓がひときわ強く脈打ち、手のひらにじんわり汗が滲むのを感じた。
頭の中で、「私には資格がないから…」という言い訳がぐるぐると回る。
レジ横に立つ先輩がちらりとこちらを見て、無言で小さくうなずくのが視界の端に入った。
「少々お待ちください」と、私はできるだけ穏やかな声で言い、店長を呼ぶために店内奥へと歩き出した。
歩くたびに床が微かにきしみ、空気が重くなる。
事務所の扉をノックすると、店長がすぐに顔を出し、事情を察したのか、すぐにおじさんの方へと歩み寄る。
その表情には、いつもの柔和な笑みと、どこか頼もしさが滲んでいた。
「お客様、少しこちらへどうぞ」と、店長はおじさんを手招きし、小さな事務所へと案内した。
事務所の扉が静かに閉じられると、店内を包む空気が一層静まり返る。
その瞬間、私はふと、おじさんと店長が旧知の仲なのではないかという予感に囚われた。
店長の対応は滑らかで、どこか親しみすら漂わせていたからだ。
しばしの沈黙の後、ドアの隙間から二人の声が漏れ聞こえてくる。
店長の声は、いつもより少し低く抑えられ、優しさと共感を込めて話していた。
「これなら、○○の塗り薬ですね。
僕もこの間、同じような状態でかゆくなったんですが、○○の塗り薬、本当に効きましたよ」
その言葉には、自分も同じ悩みを持ったことがあるという安心感と、プロとしての信頼感が同居している。
私はつい、無意識のうちに店長の言葉に聞き入ってしまう。
ドアの向こうにいるおじさんの表情は見えないが、きっと少し安堵したようにうなずいているのだろう。
店長はさらに続けた。
「ムヒは違いますね。
あまりお風呂でこすらない方がいいですよ」
そのやりとりには、どこか親密さと、微妙な照れくささが混じっている。
私はレジ横に戻り、先輩パートと目が合った。
二人して、思わず小さく吹き出してしまう。
先輩は口元を手で隠しながら、「店長、ああいうの得意だよね」と小声で囁いた。
その瞬間、店内の空気がふっと和らぎ、静かな笑いが波紋のように広がった。
ふと私は、店長の横顔を思い出す。
普段からどんなお客さんにも分け隔てなく親身に接し、薬の知識だけでなく、ちょっとした悩みにも真摯に耳を傾けている。
特に年配のお客さんからの信頼は厚く、いつもレジ前で行列ができるほどだ。
自分の身を削ってでも、誰かの困りごとを解決したいという店長の姿勢。
その根底には、かつて自分が若いころに、困っていたとき助けてもらった経験があるのかもしれない——と、私は勝手に想像してみる。
事務所の扉が再び開き、おじさんは少しほっとしたような顔で、店長と並んで出てきた。
おじさんの歩みは、さっきよりも軽やかに見える。
私はレジの前でにこやかに会釈し、先輩も小さく手を振る。
店長は「ありがとうございました、また何かあればいつでもご相談ください」と、いつもの優しい声で送り出した。
午後の日差しが、ガラス戸越しに店内をさらに明るく照らし始めている。
私はふと、ひとつの小さな出来事が、こんなにも人の心を温めたり、和ませたりするのだと気付く。
薬や商品だけじゃない、誰かの悩みに寄り添う優しさや、同じ目線で語りかける店長の人柄が、この店の空気を作っているのだ。
そんなことを感じながら、私は再びレジ横で、次のお客さんが来るのを静かに待った。
仕事・学校の話:ドラッグストアの昼下がり、密やかに交錯する人間模様と店内の空気の揺らぎ
ドラッグストアの昼下がり、密やかに交錯する人間模様と店内の空気の揺らぎ
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