留守電に刻まれた最期の声――踏切事故の音と記憶、その夜の空気まで辿る超詳細物語

日常の中に、時折染み込むようにして忍び寄る悲劇――それは、ニュースの画面越しに音もなく伝えられることが多い。
だが、その一つ一つには、想像を超えた現実の重みや、肌にまとわりつくような恐怖が存在している。
例えば、携帯電話を片手に歩き、夢中になって会話していたことで踏切という死地に気づけず、列車に轢かれてしまう――そんな事故の話を、あなたも一度は耳にしたことがあるだろう。

　けれど、この物語は、単なる被害者の悲劇では終わらない。
電話の向こう側にいる人物、つまり「声の相手」もまた、思いもよらぬ形で事件に巻き込まれていくのだ。
ほんの一瞬、遠くの空気を伝って届く声。
その刹那に、友人や家族は、自分たちが決して望まなかった「最期の瞬間」を、受話器や留守番電話を通して聴くことになる。
しかも、時にはその一部始終が、無機質な機械の中に冷たく、忠実に記録されてしまうことも――。

　この話には、A子という女性が登場する。
彼女の友人であり、ある意味では「被害者」ともいえるB子――二人の間に起きた出来事は、A子の語る静かな声から、まるで暗い水底から浮かび上がる泡のように、ゆっくりと、しかし確実に、私たちの心に染み込んでくる。

　A子には、B子という友人がいた。
二人は学生時代からの気心知れた間柄であり、互いに忙しい日々の合間を縫っては、短い電話やメッセージで連絡を取り合うのが習慣になっていた。
B子は明るい性格で、心配性のA子のことをよく気遣い、約束事には几帳面だった。
そんなB子が、A子の家に泊まりに来る予定だった日の前夜。
空は濡れた墨のような青黒さで、時折、遠くで電車の走る音が、夜気に溶けるように響いていた。

　その夜、A子の部屋は薄暗く、カーテン越しに街灯の橙色がぼんやりと差し込んでいた。
彼女はちょうど入浴を終え、髪をタオルで拭きながら、明日の支度を考えていた。
リビングの片隅には、黒いコードのついた留守番電話機。
湿度を含んだ空気が、どこか重たく、B子が来る日の期待と少しの緊張が、A子の体の内側で静かに渦巻いていた。

　一方その頃、B子は旧式の踏切の前に立っていた。
彼女の住む町の外れにあるその踏切は、時代に取り残されたように、遮断機の代わりに警笛だけが頼りない音を響かせる。
昼間は人通りも多いが、夜になると、周囲は静寂に包まれ、湿ったアスファルトの匂いが鼻をついた。
B子の手には、小さな携帯電話。
冷たい夜気に晒された指先が、ほんの少しだけ震えていた。

　B子はA子に連絡を取るため、留守番電話にメッセージを残そうとしていた。
理由は、翌日の予定が急にずれてしまい、約束していた時間に遅れることになったから。
彼女は何度も「ごめんね」と心の中でつぶやきながら、通話ボタンを押す。
遠くから、かすかな警笛の音が、夜の静けさに紛れて届いている。
しかしB子は、それを意識の片隅でスルーしていた。
電話の発信音、そして留守番電話の自動音声――「ピーッ、メッセージをどうぞ」という、無機質な女性の声。

　B子の声は、いつもより少しだけ急いでいた。
「B子です……明日ね、ちょっと遅れそう……一時間くらい遅れ――」そのとき、遠くの警笛が一層大きくなったかと思えば、突如として、テープには耳をつんざくような衝突音が刻まれた。
その一瞬、空気が振動し、B子の声は音の波に呑み込まれる。
彼女の視界には、踏切の向こうから迫る車両のヘッドライトが、白く、まぶしく、夜霧を切り裂くように伸びてきたはずだ。
全身を包む夜気が一瞬で張り詰め、足元のアスファルトが震え、全ての感覚が極端に研ぎ澄まされる――しかし、次の瞬間には、意識の全てが闇に沈んだ。

　A子は、その夜は何も知らずに眠った。
翌朝、まだ冷えきった空気の中で目覚め、いつものようにキッチンでコーヒーを淹れていた。
窓の外には白い朝霧が立ち込め、遠くで電車が通過する重低音が、静かな街に低く響いていた。
A子はふと、留守番電話のランプが点滅していることに気づいた。
「あ、B子かな？」と呟きながら、まだ寝ぼけた頭で再生ボタンを押す。
最初に流れたのは、B子の聞き慣れた声。
しかし、その内容は「明日遅れる」という連絡を伝え切らないまま、突然、異様な轟音にかき消された。

　A子の手からマグカップが滑り落ちそうになる。
耳の奥に残る衝突音、B子の声が不自然に途切れる瞬間。
自分の心臓が急に早鐘を打つのを感じながら、A子はB子の家に慌てて電話をかけた。
受話器の向こうのB子の家族の声は、どこか沈んでいて、A子の不安を裏付けるように重苦しいものだった。
事故の一報は、まるで冷たい鉄の塊のようにA子の胸に突き刺さった。
B子は、あの踏切で事故に遭い、即死だったという。

　A子は、B子の最期の声が録音されたテープを、どうしても消すことができなかった。
時折、部屋の静けさの中で再生しては、その声に触れるたび、涙が止まらなくなった。
テープの中の警笛、B子の声、そしてあの衝突音――それらが、A子の心の奥深くで、消えない傷跡となって残った。

　やがて一年が経ち、B子の命日がやってきた。
外は曇天で、重く湿った空気が街を包んでいた。
A子はB子の形見となったテープを手に取り、「これで最後」と決心してもう一度だけ再生した。
B子の声は、まるで遠いところから届くようにかすかで、警笛と衝突音は、現実と悪夢の境界を曖昧にする。
A子はふと、去年は気づかなかった違和感に襲われた。
「電話がかかってきたとき、もう警笛が鳴っている。
ということは、かける前から警笛は鳴っていたはず。
なのに、どうしてB子は気づかなかったの？」

　A子の胸は、説明のつかない不安と疑念でいっぱいになった。
さらに、メッセージの内容を何度も口に出してみると、B子が話し始めてから衝突音がするまでの時間が、あまりに短いことに気がついた。
普通なら、警笛が鳴ってから電車が来るまでには数秒の猶予があるはず。
けれど、テープの中のB子は、話し始めてほどなく、すぐに轟音に呑まれている。

　A子は、何度も頭の中でその瞬間を再生した。
B子は警笛が鳴る中、なぜか電話をかけ始め、まるでその瞬間に吸い寄せられるように、踏切へと足を踏み入れてしまったのだろうか。
あるいは、無意識のうちに、何かに導かれるようにして、最期の瞬間をA子に伝えようとしたのだろうか。

　部屋の空気は、重苦しい沈黙に満たされた。
A子の吐く息が白く、指先はひんやりと冷たい。
外では、また電車の音が遠ざかっていく。
答えの出ない疑問だけが、A子の心に残ったまま、テープはお寺に預けられることとなった。

　それは、いまでもA子にとって、説明のつかない謎であり、胸の奥で消えずに響き続ける出来事なのである。
留守電に刻まれた「最期の声」は、都市の片隅で、静かに、しかし確かに、今もなお余韻を残している――。