「昭和末期～平成初期の日本における子どもの冒険と『裏世界』体験――社会・地域・家族の背景から読み解く」

この物語が展開する背景には、1980年代後半から1990年代初頭、すなわち昭和から平成への過渡期における日本社会の独特な空気感が色濃く反映されています。
当時の日本は、高度経済成長の熱狂を通り越し、バブル景気の絶頂からその崩壊へと向かう移り変わりの時代にありました。
物質的な豊かさと共に、都市部・地方を問わず「子どもの自由時間」や「放課後の遊び場」が豊富に存在し、社会全体が子どもに対してある程度の自由と冒険を許容していたことが、物語の舞台設定と密接に関わっています。

【マクロ視点：時代背景と社会状況】
昭和末期から平成初頭の日本では、核家族化とともに共働き世帯も増加傾向にありましたが、まだ多くの家庭で「夏休みは子どもが外でのびのびと遊ぶもの」という価値観が根強く残っていました。
学校の長期休暇中、特に夏休みは、子どもたちが自宅や近隣の自然環境、公共のグラウンドなどで自由研究や遊びに興じる光景が一般的でした。
昆虫採集や自由研究といった活動も、自然とのふれあいを重視する当時の教育方針や、理科離れを防ごうとする社会的機運が背景にあります。
また、地域コミュニティの目が行き届いていたため、子どもが一人で探検や冒険に出ることも安全圏とされていました。

【メゾ視点：地域のコミュニティと場所の特性】
物語の舞台となる「家の裏手にある大きなグランド」は、地方都市や郊外の住宅地にしばしば見られる、地域の共有スペースでした。
こうした場所は、学校のグラウンドや町内会の運動場、公園として機能し、地域社会の結束や子どもたちの成長の場となっていました。
下水道や暗渠（あんきょ：地下水路）、錆びた鉄扉といった描写には、高度経済成長期のインフラ整備の名残が感じられます。
昭和40～50年代に全国で進められた都市インフラ整備は、しばしば住民の生活圏と不可分に存在し、時に子どもたちの好奇心や冒険心を刺激する「隠れた入口」となりました。

【ミクロ視点：個人史と家族の様子】
主人公は小学校五年生という多感な時期にあり、家庭や学校である程度の自由を与えられて育った様子がうかがえます。
高度成長期以降の平均的な家庭像として、父親はサラリーマン、母親はパートもしくは専業主婦、子どもは家の近所で遊ぶ、というパターンが多く、家族の団らんや地域社会とのつながりも重要視されていました。
作中で描かれる「ドラクエ3の裏世界」というゲーム体験は、1988年発売の『ドラゴンクエストIII』による社会現象を反映しています。
当時の子どもたちにとって、ゲームの世界観は現実世界の体験や想像力と密接に結びついており、現実の「裏世界」体験とリンクさせる発想は非常にリアルなものです。

【相互作用：時代・地域・個人の交差】
社会が子どもの自由な探検を許容していた時代背景と、地域コミュニティによる緩やかな監督、さらに家族の価値観や当時のサブカルチャー（ゲーム等）が相互に作用し、この「不思議な体験」を可能にしています。
物語に現れる「裏世界」のイメージは、現実の少しずれた世界＝パラレルワールド的モチーフであり、これはバブル期～バブル崩壊期という「現実の変容」を体感していた日本社会全体の空気とも無縁ではありません。
都市化の進行や地域の再開発（物語中でグランドが半分駐車場になっていた描写）、失われていく「古き良き場所」への郷愁も、こうした体験の記憶をより強く印象づけています。

【補足：文化的・心理的背景】
当時、子どもたちの間で「異世界」「裏世界」といったテーマが人気を博していた背景には、日本の伝統的な怪談や都市伝説、昭和から平成にかけてのメディア環境の変化があります。
テレビゲームやアニメ、マンガが一般家庭に深く浸透し、現実とフィクションの境界が曖昧になるような感覚が、子どもたちの「冒険」や「不可思議な体験」への憧れを下支えしていました。
また、家庭の中での父親像や家のしつらえ（昭和的なレバー式インターホンや巨大サボテンなど）は、当時の住宅事情や生活様式を象徴しています。

このように、主人公の「裏世界」体験は、単なる個人的な幻想や夢にとどまらず、昭和末期～平成初期という日本社会の移り変わり、地域社会の変容、家族や子どもの心理、そして文化・サブカルチャーの影響が複雑に絡み合う中で生まれた現象であると読み解くことができます。
その記憶が細部まで鮮明に残っているのも、社会・環境・文化が個人の成長や想像力に大きな影響を与えていた時代だからこそと言えるでしょう。