不思議な話:グランドの裏側で、世界が反転する——夏休みの微かな裂け目

グランドの裏側で、世界が反転する——夏休みの微かな裂け目

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不思議な記憶——それは、時に現実の裂け目から流れ込んでくる夜風のように、私の心を静かに揺らす。
今もなお、少年の日の夏の午後、あの出来事の細部が、まるで昨日のことのように鮮明に思い出される。

 *

 蝉の声が空に溶けていくような、眩しい夏休みだった。
小学校五年の私は、家の裏手に広がる大きなグランドで、昆虫の自由研究に夢中になっていた。
陽炎が立つ芝生の上、網とノートを手に、私は小さな獲物を追いかけてはしゃいでいた。

 そのとき、ふとグランドの隅に、錆びついた鉄の扉があるのに気がついた。
重く、どこか不吉な色を帯びたその扉は、地面に半ば埋もれるようにして静かに佇んでいた。
扉の向こうに広がる闇が、私の心にまだ見ぬ冒険の高揚を呼び起こす。

 私はおそるおそる取っ手を握った。
冷たい鉄の感触が、現実の重みをそっと伝えてくる。
ギィ、と軋む音とともに扉を開くと、下へと続く梯子が現れた。
暗闇の底から、かすかな涼しさが這い上がってくる。

 家に戻り、懐中電灯を握りしめて再び扉の前に立つ。
胸の奥で鼓動が早鐘のように響いていた。
梯子を一歩一歩降りていくたび、現実世界から遠ざかっていくような不安と、抗いがたい期待が入り交じる。

 足元に金網の床。
下には暗渠が口を開けており、微かな水音がどこか遠くで鳴っている。
鼻をくすぐる湿気の匂いは、思ったほど不快ではなかった。
これが下水道でないことを、少年なりの直感が告げていた。

 通路は前後に伸びていた。
私は正面へ、懐中電灯の光を頼りに歩き出す。
静寂の中、足音と水音だけが、世界のすべてだった。
およそ二十メートルほど進むと、鉄格子で行き止まりとなった。
その脇には、また上へと続く梯子があった。

 「もっとすごいものを見つけられると思ったのに」——胸の内で、淡い失望が波紋のように広がった。
だが、せめて出口を探そうと梯子を上がる。
歩いた距離からして「道路の向こうの空き地あたりに出るはずだ」と、私は頭の中で地図を描いていた。

 蓋を押し上げると、夕暮れの空がそこにあった。
茜色の光が、グランドを包み込む。
入ったのは昼過ぎだったはずなのに——時間がまるで滑り落ちたように、何かがおかしい。
胸騒ぎが、心の奥で小さな鐘を鳴らす。

 グランドを立ち去ろうとしたとき、私は風景の微妙な違いに気づいた。
雑貨屋だった場所が見知らぬ民家になっている。
公民館は、なぜか病院にすり替わっていた。
道路標識も、見たことのない奇妙なマークに変わっている。

 私は走り出した。
家へ——変わらぬ場所を求めて。
だが、そこにも異変があった。
庭には巨大なサボテンが、まるで異国の花のように咲き誇っている。
駐車場には赤く、奇妙な形をした車が止まっていた。
玄関脇には小さなレバーが飛び出し、インターホンの代わりを務めていた。
扉の両脇には、四つ足で髭を生やしたキリンにも似た置物が、無表情に立っていた。

 それでも、そこは確かに、私の家だった。
細部は違っても、形も色も、表札に刻まれた文字さえも、私の記憶と一致している。
「なぜだ——どうして」。
言葉にならない不安が、冷たい手のひらで心臓をぎゅっと握りしめた。

 玄関から入る勇気が持てず、私は家の裏手に回り、台所の窓からそっと中を覗いた。
見慣れた居間には、紫色の甚兵衛を着た父と、学校の音楽教師が並んで談笑していた。
その光景は、現実の皮をかぶった夢のようだった。

 「裏世界に来てしまったのかもしれない」——ふと、当時夢中だったドラクエ3の裏世界が脳裏をよぎる。
理屈もなく、私はそう確信していた。
私は恐怖に駆られ、グランドへと引き返した。
地下通路へ、来た道をひたすら走る。
冷や汗が背中を伝い、胸が苦しくなる。
遅れたら、二度と戻れない。
そんな焦燥が全身を突き動かしていた。

 やがて、来たはずの扉を見つけ、地上に這い上がった。
夕闇の中、私はやっと現実に帰ってきたのだと、膝が笑うのを感じた。

 それからというもの、グランドに近づくことはできなくなった。
あの場所が、再び私を裏世界へと誘うのではないかと、恐怖が心に根を張った。
時が流れ、私はグランドを避けるようにして暮らし、やがて家族ごと引っ越してしまった。
あれが何だったのか、結局わからずじまいだった。

 *

 季節は巡り、半年前、仕事でかつての町の近くを通った。
あのグランドは半分駐車場になっていたが、まだ残っていた。
だが、私は近づけなかった。
あの日の夕焼けの色と、心臓を締めつけるあの恐怖が、鮮やかに蘇ったからだ。

 これは、私の中に今も続く物語だ。
夢と現実の境目で、なぜか細部まで鮮明に記憶されている——あの夏の、ひとつの裂け目のような出来事。
読了
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