窓の外には、春の雨が静かに降り続いていた。
灰色の雲が街を覆い、濡れたアスファルトは朝の光を鈍く反射している。
私は、まだ新しい制服のスーツを指先でそっとなぞりながら、事務所の片隅に置かれた電話機の前に座っていた。
入社して間もない。
まだ会社の空気に馴染みきれずにいる私は、電話応対という仕事に、どこか自分を試されるような緊張を覚えていた。
会社の電話番号は連番で取得されており、下1桁が0から9まで順に並んでいる。
まるで番号の階段が、目の前に見えもしない扉をいくつも用意しているようだった。
午前十時を回ったころだった。
雨音に紛れて、電話のベルが短く鳴る。
私は受話器を取った。
耳に触れたプラスチックの冷たさが、現実の重みを静かに伝えてくる。
「……はい、〇〇株式会社でございます」
受話器の向こうから、やや掠れた女性の声が聞こえてきた。
年齢を感じさせる、せわしない口調。
「あの、ちょっと番号間違えちゃったみたいだけど……」彼女はそう言い残し、電話を切る。
その声に、どこか苛立ちと焦りが混じっていた。
しかし、間もなくしてまた電話が鳴る。
今度も同じ女性。
私は同じ挨拶を繰り返す。
相手はやはり番号を探しあぐねているようで、今度は少しだけ声に棘が混じっていた。
その日、雨はやむ気配もなく、数分おきに電話のベルが鳴り続けた。
まるで一枚のレコードが壊れて、同じ音だけを繰り返すように。
何度目かの呼び出し音。
私は、胸の奥に小さな波紋が広がっていくのを感じていた。
不安、困惑、そして、ほんのわずかな苛立ち。
受話器を握る指先が、知らず知らずのうちに強張る。
「……また、あなた?」
電話の向こうで、女性がついに声を荒らげた。
「何でアンタがずっと電話に出るのよ!!」
受話器の中で声が跳ね返り、事務所の空気が一瞬凍りつくようだった。
私は、言葉を失いかける。
それでも、精一杯静かな声で応じた。
「申し訳ございません。
当社の電話番号は連番で取得しておりまして……」
説明は、雨のしずくのように、相手の苛立ちへと消えていった。
電話が切れた後、私はしばらく受話器を握ったまま、窓の外を見つめていた。
雨は相変わらず降り続き、街路樹の葉を静かに濡らしていた。
あの女性は、果たして本当にかけたかった場所へと辿り着けただろうか――。
私の胸に、わずかな余韻が残る。
雨音が、その余韻を優しく包み込む。
新入社員のささやかな受難と、見知らぬ誰かの焦燥。
その日、私は電話の波紋の中で、社会という大きな川の一滴となったのだ。
仕事・学校の話:連番の雨、電話の波紋――ある新入社員のささやかな受難
連番の雨、電話の波紋――ある新入社員のささやかな受難
📚 小説 に変換して表示中
読了
スワイプして関連記事へ
0%
記事要約(300文字)
ダミー1にテキストを変換しています...
0%
変換中
コメント