思い出すと背筋がぞっとする体験なのですが、どうしても皆さんにお伝えしたくて、こうして書いてみることにしました。
平成20年6月24日、私は外回りの仕事で顧客名簿を片手にH市内を移動していました。
その日は梅雨の湿気がすごく、汗かきの私にとってはとてもつらい暑さだったのです。
某ビル横の日陰に入り、ペットボトルのお茶を片手に顔を扇いでいました。
時計を見ると15時半。
まだお客様を訪ねなければならないのに、シャツは汗でぐっしょりです。
「シャツを着替えなきゃ」と思い、バッグを覗いてシャツを取り出そうとしたその瞬間、頭の真上でトンビの鳴き声がしました。
「ピーヒーヨロ」
そして、突然視界が暗くなりました。
どれほど時間が経ったのか分かりません。
気がつくと夕暮れ時。
ですが、周りの様子がどうもおかしいのです。
ビルの間にいたはずなのに、なぜか田んぼの畦道に横たわっていました。
見渡すと藁葺き屋根の家が数軒。
思わず「どこここ(笑)」と声が出てしまいました。
熱射病で倒れて誰かに運ばれたのかもしれない、でも、なぜこんな田舎にいるのか混乱しました。
ポケットから携帯を取り出すと、アンテナは圏外。
時計は19時半を示していました。
誘拐されて途中で捨てられたのか、とも思いました。
「家に帰らないと…」とズボンについた土を払い、もう一度周囲を見渡します。
街灯はなく、車の音も聞こえません。
しかし、藁葺き屋根の家の一軒に灯りが点いていたので、電話を借りようと近づいてみました。
玄関前に立ち、呼び鈴を探しましたが暗くて見つかりません。
家の中にぼんやりした灯りは見えるのですが、人の話し声はしません。
ただ、何となく人の気配だけは感じました。
思い切って障子の引き戸を開けてみました。
―こんばんは〜。
すいません、電話を貸してほしいんですけど〜
灯りで見えた家の中は明らかに古民家で、中には老夫婦がいました。
ご主人が居間から声をかけてきます。
―どちらさんだ?
―すいません。
ちょっと電話を貸していただければと思いまして。
ごめんなさい、こんな夜分に
いつもの営業スタイルでお話ししました。
―でん…わ?でんわとはなんね?うちには米もみなもってかれとるんで、なんにもないんじゃがのう
電話を知らないのでしょうか?どれだけ田舎なんだろう…と思いました。
灯りも電気の照明ではなく、火が灯っているようです。
あんどんでしょうか。
さらに近づいてきたご主人が私を見てこう言いました。
―あんさま、どっからきんさった?お武家さんかえ?
おぶけ…って何だろう?
―ごめんなさい、おじいちゃん。
ここは一体どこですか?
混乱しながらも何とか声を出して尋ねました。
ご主人は奥さんと顔を見合わせて、
―ここはどこって、ここはK村(現存する地名)じゃが。
あんさまはどっからきんさった?
K村?え、ここって村だったっけ?町だったはずだし、K町にも何度か来たことがありますが、こんな田舎じゃなかったはずです。
街灯もないし、生活がとてもアナログ。
携帯も圏外です。
ありえない、絶対にありえない。
こんなことが現実に起こるはずがない。
漫画の中の世界みたいだと自分に言い聞かせました。
でもタイムスリップなんて、本当にあるのでしょうか?
自問自答しながらも、信じられない現実を確かめたくて、ご主人に恐る恐る尋ねました。
―すいません…私、H市から来たんですけど。
今は西暦何年ですか?
ご主人はキョトンとして答えました。
―せいれきっちゃーなんね?食べれるもんかね?うちにはないがのう
だ…だめだ(笑)。
もし本当に過去にタイムスリップしたのなら、西暦なんて言葉は通じないですよね。
―じゃあ、おじいちゃん。
元号は?明治?大正?
もう気が動転していました。
―げんごうっちゃなんかいのう?わしにはよーわからんて
申し訳なさそうに言われました。
―なんていうの?応仁何年とか元禄何年とかあるじゃん?あれ、分かりませんかねー?
もう必死でした。
ご主人もきっと戸惑ったのでしょう。
訳の分からない格好で、訳の分からないことを言う私に、
―すまんのじゃが、うちはなんもわからんけぇ、よそ当たってぇや
と言って、障子戸を閉められてしまいました。
携帯がつながらないかもう一度確認しましたが、やはり圏外。
ここがK町なら、あちらがH市の方向です。
とにかくH市内に行けば何か分かるかもしれない。
そもそもタイムスリップなんてありえないし、少し歩けば携帯もつながるだろうし、車も通るはず。
歩いてみよう。
そう決心しました。
2時間歩きましたが、舗装した道路すら出てきません。
道なき道を歩いているような感覚でした。
途中、川のせせらぎが聞こえたので川原に降りて、顔を洗い、靴を脱いで足を川につけました。
足がだるいし、お腹も空いてきました。
車も通らないし、本当にタイムスリップしてたりして…と、一人で苦笑い。
早く会社に戻らないと明日の段取りもありますし、家族も心配しているでしょう。
何とか携帯がつながるところまで行かないと、と思いながら歩き続けました。
そしてさらに4時間ほど歩いたでしょうか。
民家が暗闇の中に数軒見えてきました。
やはり藁葺き屋根の家が多かったのです。
灯りがついている家はありません。
その中には武家屋敷のような大きな屋敷も見えました。
携帯を確認してもやはり圏外。
そして、闇夜が少しずつ白み始めた頃、人の姿がぽつりぽつりと見えてきました。
人影をよく見ると、髷を結い刀を差した武士風の人、上半身はベストのような物に下半身はふんどしだけの人、着物のおばさん、籠屋のような人たちもいます。
道行く人は「何あれ?」のような目で私を見ていました。
これは相当まずい状況だと感じました。
見知らぬ場所で不審者扱いされ、もし捕まったら…と不安になり、とりあえず人目を避けようと走り出しました。
否応なくタイムスリップした現実を受け入れざるを得ない瞬間でした。
大きな川が横を流れています。
これが本当にタイムスリップなら、この川はO川のはず。
この場所から車ならH市内中心部まで30分、走っても3、4時間はかかりそうです。
ただ、この川沿いを進むと多くの人に会ってしまい、危険も多いと思いました。
そこで、川を泳いで下ればいいかもしれない、と考えました。
ただし、それだと携帯が水に濡れてしまいます。
まだ4月に買ったばかりの携帯なので、できれば濡らしたくありません(笑)。
ですが、早く中心部に行き、本当にタイムスリップなのか確かめる必要があるとも思いました。
でも、仮にそれが確かめられたとしても、どうなるんだろう?元の時代に帰れなければ意味がありません。
地形的にも、状況的にも、タイムスリップしているとしか思えません。
本当に現実とは思えないけれど、認めざるを得ない状況でした。
そうなると、どうやって平成の時代に戻ればいいのか?どうやって家族に会えるのか?神隠しに遭ったと言われる人は、こんな気持ちだったのかなと思いました。
再び頭が混乱し始め、ご飯も食べていないのでお腹も空いていました(笑)。
もしかしたら、この時代で生きていくしかないのかもしれない。
そう思うと、川べりで声を出して泣いてしまいました。
いい大人なのに、子どものように泣いてしまったのです。
結局こうして元の世界に帰ってきたからこそ、今こうして書いていますが、なぜこんなことになったのか、きっかけすら分かりません。
ただ、ある人との出会いによって、この不思議な出来事は終わりを迎えます。
ここまで泣いたのは、去年の夏にフジテレビで放送された「はだしのゲン」で、中井貴一さんが家族を残して死んでいくシーンを見た時以来でした(笑)。
この世界で生きていくしかないのかもしれない。
そう思ったときには、もう涙も出ないほどあきらめの気持ちが募っていました。
とりあえず、今の服装のままでは目立ってしまいます。
何とかして服を手に入れようと考えました。
そのためには、こんな田舎ではなく町へ出なければいけません。
今着ている服を脱ぎ、先の尖った石を使ってスラックスを膝のあたりでビリビリに切り裂きました。
Yシャツは野宿の時に寒さをしのぐため、タオル代わりに。
Tシャツ姿で膝までしかないボロボロの服装なら、そんなに変な目で見られないかもしれません。
まるでロビンソン・クルーソーみたいでした(笑)。
お腹は空いていましたが、まずは町へ向かって歩き始めました。
携帯はやはり圏外のまま。
やがて、道幅20メートルほどもある広い通りに出ました。
人もたくさんいます。
ただ、昔の人は背が低い方が多いようで、私は175センチしかありませんが、この時代では男の人でも160センチくらいの人が多い様子。
目立ちたくないのに、どうしても目立ってしまいます。
露店がたくさん並び、野菜がたくさん売られていました。
その店主はおばさんだったので、淡い期待を持って話しかけてみました。
―おばちゃん。
タダでいい野菜くれない?(ここでも営業スマイルです(笑))
―そこの折れ曲がったキューリ持っていきんさい
即座に手に取り、「ありがとおばちゃん♪」とお礼を言いました。
そして携帯を見ると、15時。
約27時間ぶりの食事です。
涙が出るほど嬉しくて、味わいながら食べました。
すると、とある行列が目に入りました。
馬に乗った人、篭が5台、加えて徒歩の侍風の人が15人ほどいます。
大通りを歩く人々が脇へ避けていきます。
徒歩の侍たちの中には、映画で見るような合戦の格好をしている人もいました。
背中には家紋のようなエンブレムの入った旗を背負っています。
その旗をよく見ると、「慶長7年」と書いてありました。
どうやら私は本当にタイムスリップしたようです。
この時は「あ〜〜〜歴史の勉強しとけばよかった!」と強く思いましたが、元の世界に戻って調べてみると、これは関ヶ原の戦いが終わった頃のようです。
つまり、徳川家康も前田慶次も生きていた時代なのですね。
それを思っても、もう後の祭りでした(笑)。
さて、日銭を稼がなければいけません。
港にでも行けば仕事があるかも、と考え海に向かって歩き始めました。
その時、一人の男が話しかけてきました。
その男は髷は結っていませんが、着ている服は町民よりも上質そうな生地のもので、初老の男性です。
口にはキセルをくわえていました。
―にーちゃん、ライター持ってない?
これが彼の第一声でした。
ポケットにも一応手を入れてみましたが、ライターは平成に置いてきています。
「ああ、しばらくタバコも吸ってないな」と思いながら、こう答えました。
―ごめんなさい。
ちょっとライター持ってないんですよ
その言葉を発した瞬間、私は「この人、ライターって言ったぞ?」と気づきました。
どんな顔をしていたのか分かりませんが、男はニヤリと笑ってしゃがみ込みました。
―で、何年から来たんだ?昭和か?平成か?
この人もタイムスリップした人だ、と直感しました。
―平成20年です
私は小声で答えました。
―俺は平成11年にこっち来たよ。
とりあえず飯でも食うか?どうせ腹減ってんだろ
男はそう言い、首で「ついてこい」と合図しました。
私はその後ろについていきました。
10分ほど歩くと、長屋とは違う立派な和風の家に着きました。
すると、白いご飯、漬物、焼き魚、お吸い物が出てきました。
―腹いっぱい食べんさいよ
男は優しい声で言ってくれました。
私は涙を流しながら食べました。
食べ終わると男は話し始めました。
―俺だけ帰れないんだ。
にーちゃんみたいに明らかに未来人と分かる人間が、今まで8人来た。
みんな突然消えて帰れてると思うんだけど、俺だけ帰れないんだよなあ。
にーちゃんも2、3日すればきっと帰れるよ。
住まいはどこだい?H市かい?俺はH市のI町なんだけどな
この人は間違いなく平成の人だ、と確信しました。
彼の話によると、この時代で9年前、平成11年の夏にH市内のある場所で耳元でトンビの鳴き声がした瞬間にタイムスリップしたのだそうです。
その後、帰れないことが分かり、この時代の人間として生きる決意をし、働いて家を持つまでになったとのこと。
今では悠々自適に暮らしているそうで、私と同じようにタイムスリップした人を助けては見送ってきたそうです。
彼はM木さんと名乗りました。
―にーちゃん。
もしちゃんと平成に帰れたら頼みがあるんだが、聞いてくれるか
彼の頼みとは、元の時代にいる奥さんに伝言してほしい、というものでした。
住所も電話番号も聞きました。
それをしっかり記憶に刻みました。
伝言の内容はこうでした。
―俺は生きてる。
会えないかもしれないが子供たちを頼む。
いつか帰れる日が来るかもしれない。
その日まで家を守ってくれ
それを聞いて、私はまた涙がこぼれました。
翌日はM木さんの畑仕事を手伝いました。
彼がどうやってここまで財を築いたの
不思議な話:優しく振り返る、ある日突然の不思議なタイムスリップ体験
優しく振り返る、ある日突然の不思議なタイムスリップ体験
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