幼くして父を亡くした僕は、母とふたり、昭和の町で慎ましく暮らしていた。
母は学歴も技術もなく、個人商店で働きながら僕を育ててくれた。
日曜の河原の手作り弁当が何よりの楽しみ。
ある日、母がもらったプロ野球観戦の優待券で球場へ向かった。
しかし入場料が足りず、外のベンチで豪華なお弁当を広げるしかなかった。
母は「ごめんね」と涙をこぼし、僕は悔しさを胸に刻んだ。
それを機に猛勉強し、大学進学、就職、結婚と人生を歩み、母に初孫を抱かせることもできた。
晩年、母はあの日を思い出し「野球、ごめんね」とつぶやく。
僕にとって、あのベンチで食べた弁当こそ世界一温かい思い出だ。
切ない話:母と過ごした河原と、涙の野球観戦
母と過ごした河原と、涙の野球観戦
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