「野球……ごめんね……」
その言葉が、母の最期の記憶だった。
意識がもうろうとする病室で、母は何十年も前の、たった一度の出来事を口にした。
胸が詰まって、俺は何も言えなかった。
ただ、涙だけが溢れた。
なぜ母が、最期までそのことを気にしていたのか――。
話は、昨年の暮れ、母の入院中に遡る。
意識が遠のくことが増えた母が、ふと目を覚ましたとき、ぽつりとつぶやいたのだ。
「野球……ごめんね」と。
俺は「楽しかったよ」と言いたかった。
しかし、その言葉は声にならなかった。
何も言えずにいたのは、あの日のことが、俺の心にも、深く刺さったままだったからだ。
あの日――
母がもらってきたプロ野球の観戦チケットを手に、二人で球場へ向かった。
初めて見る人の波や、響く歓声に胸が高鳴っていた。
けれど、チケットは“優待券”で、入場料が一人1000円ずつ必要だと言われた。
母の財布には、帰りの電車賃くらいしか残っていなかった。
「……帰ろっか」
母はそう言うしかなかった。
球場の外のベンチで、母が朝から張り切って作ってくれた少し豪華なお弁当を二人で広げた。
唐揚げ、卵焼き、花の形のソーセージ。
遠くから聞こえる歓声。
母は笑顔を作っていたが、どこか寂しげだった。
「楽しかったね」と強がってみせた俺に、母は小さな声で言った。
「母ちゃん……バカで、ごめんね」
その目に浮かんだ涙が、子どもだった俺の胸に深く突き刺さった。
貧しさも、無学も、母を泣かせた。
だから俺は、負けたくなかった。
あの日の涙に。
一体、どうしてこんなことになったのか――。
話はさらに遡る。
幼い頃、父を亡くした。
母は再婚せず、個人商店の雑務や配達で生計を立て、女手ひとつで俺を育ててくれた。
毎日が必死だった。
けれど、手作りの弁当を持って河原へ行く日曜が、ささやかな幸せだった。
給料日後にはクリームパンとコーラ。
甘くて冷たいそれは、子どもながら“贅沢”の象徴だった。
そんな日々の延長線上に、あの日の野球観戦があった。
もし母があのとき涙を流さなければ、俺は今の自分になっていなかったかもしれない。
新聞奨学生として大学に進学し、社会に出て、結婚し、母に初孫を抱かせることができた。
母は多くを語らなかったが、孫の手を握る穏やかな表情に、静かな喜びがにじんでいた。
本当は、ずっと伝えたかった。
「あのときの野球観戦、一番の思い出だったよ」と。
でも、言葉にはできなかった。
母の手作りの弁当。
クリームパンとコーラ。
そして、あの日の涙。
すべてが、俺の誇りだ。
あの時、野球場の外のベンチで食べた弁当。
俺は今も、あれが世界で一番温かい野球観戦だったと覚えている。
ありがとう、お母さん。
切ない話:涙の理由は、あの野球場の外で知った
涙の理由は、あの野球場の外で知った
🔄 オチから に変換して表示中
読了
スワイプして関連記事へ
0%
記事要約(300文字)
ダミー1にテキストを変換しています...
0%
変換中
コメント