朝靄が町を薄く包み込む、ある春の朝だった。
あの時のことを思い出すとき、私はいつも、湿った土の匂いと、遠くで響く電車の警笛を思い出す。
私は幼い頃に父を亡くし、母と二人だけの家族になった。
父の死は私の記憶の奥底に霞んだ影を落とし、母はそれ以降、再婚することもなく、女手ひとつで私を育ててくれた。
母には特別な学歴も、目立った技術もなかったが、その分だけ、彼女は毎日を生きることに誠実だった。
朝焼けの冷たい空気の中、母は個人商店の雑用や配達で生計を立てていた。
手のひらは粗く、彼女の指先は、時に冷たい現実の重みをそのまま私に伝えてきた。
小さな町は、まだ人情の残る場所だったが、私たちの暮らしには、いつも切り詰めた静けさがまとわりついていた。
しかし、私はその静けさが嫌いではなかった。
日曜日になると、母は早起きして小さな弁当箱を用意し、私の手を引いて近所の河原へ出かけた。
春の草の上に座り込み、澄み切った青空の下でおにぎりを頬張る。
それが、私にとって最高の贅沢だった。
時折、給料日の後には、母がそっと買ってくれるクリームパンとコーラ――甘くて冷たいその味は、私にとって“夢”そのものだった。
ある日、母は小さな紙切れを手に帰宅した。
プロ野球の観戦チケットだった。
母の頬が少し紅潮しているのに気づいた。
誇らしげで、どこか照れくさそうに「行ってみるか?」と言うその声の奥に、期待と不安が微かに交錯していた。
その朝、母はいつもより少しだけ豪華な弁当を用意してくれた。
唐揚げ、卵焼き、そしてソーセージは花の形に切られていた。
小さな春の祝祭のような弁当箱だった。
初めて訪れる野球場。
人の波に飲まれ、私の胸は高鳴った。
ざわめき、歓声、眩しいほどに新しい芝生。
すべてが、私の小さな世界を一気に広げてくれるようだった。
だが、その一歩手前で、私たちは立ち止まることになった。
入場口でチケットを差し出したとき、係員が静かに首を振った。
「これは優待券なので、入場料が一人千円ずつかかります」と告げられる。
母の指が、無意識に財布の中身を探る。
小銭の触れ合う音が、妙に大きく響いた。
財布には、帰りの電車賃と、ほんのわずかな硬貨しか残っていなかった。
「……帰ろっか」
母は努めて明るい声を装ったが、その瞳には影が落ちていた。
私はただ小さくうなずき、二人して球場の外に設えられたベンチに腰を下ろした。
春の風が、球場の中から歓声を運んできた。
遠くで起こる熱狂が、私たちのそばを素通りしていく。
母は弁当箱を広げ、無理に笑みを浮かべて私に勧めた。
私は「楽しかったね」と、強がるように口にした。
けれど、心の奥では、何かが音を立てて崩れていた。
その時、母がぽつりと言った。
「母ちゃん……バカで、ごめんね」
その声には、小さな震えが混じっていた。
私は見てしまった。
母の目に、滲む涙を。
悔しさが、胸の奥で燻った。
貧しさが、無学が、母を泣かせたのだ。
あの日、私は「負けたくない」と、初めて強く思った。
それから私は、がむしゃらに勉強した。
新聞配達をしながら学費を賄い、大学へ進学し、社会に出て、やがて結婚し、母に初孫を抱かせることもできた。
母は多くを語らなかったが、孫の手を握るときだけ、そっと安らかな微笑みを浮かべた。
しかし、その穏やかさにも終わりが訪れた。
昨年の暮れ、母は病に伏せ、入院生活の中で次第に意識を失う時間が増えていった。
ある日、ふと目覚めた母が、小さな声で呟いた。
「野球……ごめんね……」
何十年も前の、たった一度の出来事。
母はずっと、それを胸のどこかにしまい込んでいたのだろう。
私は「楽しかったよ」と言いたかった。
本当の気持ちを、ちゃんと伝えたかった。
しかし、喉元までせり上がった言葉は、涙とともに溢れ、どうしても声にならなかった。
母は静かに息を引き取った。
今でも、あの河原の草の感触や、クリームパンの甘さ、母の作った弁当の温もりを思い出す。
そして、球場の外のベンチで食べた、少しだけ豪華な弁当も。
ありがとう、お母さん。
あの時、外のベンチであなたと食べた弁当は、私にとって世界で一番温かい野球観戦だったのです。
切ない話:野球場の外で、母と食べた弁当――ひとつの涙と、春の風
野球場の外で、母と食べた弁当――ひとつの涙と、春の風
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