不思議な話:プラットホームに消えた影――幼き日の白昼夢

プラットホームに消えた影――幼き日の白昼夢

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春の朝靄が、駅のプラットホームを淡く包み込んでいた。
私はまだ小さく、母の温かな手に導かれ、見知らぬ土地へ向かう旅の途中だった。
遠縁の親戚を訪ねるという目的は、幼い私にとってはただ遠い響きでしかなく、むしろ目の前を彩る色とりどりの電車たちが、心に強く焼きついていた。

 人の波に押し流されるまま、私はふと母の手を離した。
手の温もりが消えた瞬間、世界が少しだけ冷たくなった気がしたが、不思議と恐怖や寂しさは湧いてこなかった。
むしろ、目の前に広がる風景が、どこか現実離れしているような感覚に包まれていた。

 黄色い安全線の上に立ち、私はぼんやりと反対側のホームを眺める。
朝の空気は少し湿り気を帯び、鉄道の油の匂いと混じり合って、幼い心に奇妙な落ち着きをもたらしていた。
ホームの向こうには、小柄な女性と、その隣に寄り添う小さな女の子がいた。
女性は水色のコートを羽織り、子どもの手をやさしく握っている。
二人の姿は、春の光の中で淡く揺れて見えた。

 その親子のことを、私は知らないはずだった。
けれど、なぜかひどく懐かしい――心の奥底をそっと撫でられるような、不思議な既視感があった。

 警笛が遠くから響き、白と青の車体を持つ電車がゆっくりとホームに滑り込んでくる。
その瞬間、私は目を疑った。
電車が親子の前を通り過ぎるはずなのに、白と青のコントラストが、煙のようにふっと消えたのだ。

 気がつくと、電車は透き通っていた。
乗客たちの輪郭だけが宙に浮かび、誰もが夢の中の住人のようにぼやけている。
ドアが開く音だけが現実の重みをもって響き、ホームの空気がわずかに揺れた。

 私はただ、それを見つめていた。
親子が電車に乗り込もうと一歩踏み出したとき、電車が静かに、しかし確かな意志を持って、私の方へ横滑りしてきた。
そんなことがあり得るはずもないのに、黄色い線の上に立つ私と電車との距離は、あっという間に一メートルを切った。

 驚きで呼吸が止まる。
電車が近づいてきたことも、その女の子が――私自身に酷似していたことも。

 次の瞬間、何事もなかったかのように電車は走り去り、私は背後から母にしっかりと抱きしめられていた。
母の声が、遠くから聞こえるように耳に届く。
「よかった、見つかって……」

 私はあの出来事を、母を見失った不安が見せた白昼夢だったのだろうと、長いあいだ思っていた。
だが、時折ふと蘇る記憶が、私の心にひとしずくの恐れを残す。

 あの少女の服は、私が通っていた幼稚園の制服だった。
左頬には、私と同じ位置に小さなほくろがあり、目が合った瞬間、彼女は確かに微かに微笑んだ――まるで、運命がそっと冷たく微笑んでいるかのように。

 春の駅の片隅で、私はまだ名も知らぬ自分自身の影と、すれ違ったのかもしれない。
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