「見失われた母と幻の親子―幼少期体験の深層心理分析」

本エピソードは、小学校低学年という発達上きわめて感受性の高い時期における、母親との分離体験とその際に生じた知覚的・感情的体験を描写している。
まず、観察可能な行動として「母の手を引かれ駅にいたが、電車に惹かれ母の手を離し人混みに流された」点が挙げられる。
これは幼児期特有の好奇心と自立の萌芽であり、親からの一時的な分離を通じて自己の境界を試す行為と解釈できる。

しかし周囲から切り離され、母の姿が遠ざかっていく場面で「なぜか冷静な気持ちでそれを見ていた」「怖さや寂しさは全く湧いてこなかった」と述べられている。
この反応は、情動の一時的な切断、すなわち「解離」に近い心理的防衛機制が作動した可能性を示唆する。
特に幼少期の子どもは、強い不安や恐怖を抑圧し、現実感覚から一歩引いた観察者モードに入ることで精神的均衡を保つことがある。

続いて、「黄色い安全線の上に立ち、反対側のプラットホームをぼんやり眺めていた」場面では、現実感の希薄化とともに自我と外界の境界が曖昧になっている様子が読み取れる。
ここで目にした「仲睦まじい親子」は、初見であるにもかかわらず「なぜか懐かしい感じがした」と記述されている。
この「懐かしさ」は、無意識下における理想的な親子関係や自己像の投影、もしくは過去の幸福な記憶の再演（再現）として理解できる。

さらに、「親子の姿は消えるはずだったが、電車が親子を遮った瞬間、白と青のコントラストは煙のように消えた」「電車は透明になり、乗客は宙に浮いているように見えた」といった描写は、強いストレス下における知覚の歪みや現実感喪失（離人感・非現実感）を示している。
これは解離性現象の一形態と解釈でき、心的外傷や混乱が生じた際に、現実が一時的に夢や幻覚のように感じられることがある。

「少女が私に酷似していた」「少女の服が自分の幼稚園の制服だった」「同じ位置に目立つほくろがあった」といったエピソードは、自己同一性（アイデンティティ）の揺らぎと投影の複合現象である。
ここでは、無意識的に自己の一部を外在化し、他者（少女）を通して自らを観察する「投影同一視」が働いていると考えられる。
また、この少女が「微かに微笑んだ」ことに恐怖を感じた点は、自身の潜在的な不安や孤独感、あるいは母親から切り離された状態への恐れが、幻想的なイメージを通じて表出されたものとみなせる。

母を見失った体験が「白昼夢」として記憶されていることは、トラウマ的な出来事を心理的に処理しきれず、現実と空想のあいだで再解釈しようとする「合理化」や「否認」といった防衛機制の働きとも関連している。
加えて、この体験が記憶に強く残っていることから、潜在的な分離不安や自己像への問いかけ（アイデンティティ拡散）が、成長過程における重要なテーマとなっていることがうかがえる。

統合的にみると、本事例は「母親からの分離」という発達上避けがたい課題に対し、幼少期特有の防衛機制や無意識的な自己投影、現実と幻想の交錯を通じて心的均衡を保とうとするプロセスを描いている。
これは、愛着理論的にも「安定型愛着」から「不安型愛着」への一時的な揺れや、自己概念の発達段階におけるアイデンティティ模索の一断面として理解できる。

このような体験は、将来的な自己理解や対人関係の在り方にも影響をもたらし得るが、同時に、危機的状況における自己の心的防衛力や成長の可能性を示唆するものでもある。