レストランのガラス窓越しに、初夏の陽が静かに差し込んでいた。
白いクロスの上に並ぶ銀器が、柔らかな光を受けて微かに輝く。
遠くでピアノの旋律が、波紋のように広がり、誰もがその余韻に耳を澄ませていた。
その日、私は親戚の兄の結婚式に出席していた。
人前式という形式は初めてだったが、晴れやかで和やかな空気に包まれ、心がどこか温まるのを感じていた。
けれど、式が始まる直前、会場の空気が突如として凍りついた。
「娘の結婚式だよ!私の娘だ!」
老女の叫びが、凍てつく冬の風のように響いた。
場違いな派手な服装のその女は、ドアを押し開けて会場へ突進し、周囲の人々の視線を一身に集めていた。
あのときの新婦の両親、蒼白な顔で駆け寄る姿。
その慌ただしさが、今も脳裏に焼きついている。
新郎――私の兄は唇をかすかに噛み、新婦はただ静かに微笑んでいた。
まるで、すべてを見透かしているかのような、穏やかな微笑みだった。
騒ぎの後、数分の遅れで式は始まり、ピアノの音色が再び会場を包み直した。
*
その真相を知ったのは、ずいぶん後のことだった。
ある晩、私は兄からぽつりぽつりと語られた。
新婦――彼女は養女だったという。
あの騒動の主こそ、彼女の実の母親だったのだ。
実母は、かつては裕福な家のお嬢様だったが、運命の歯車が狂い、貧窮の淵へと転落した。
だが、再び上流の世界へ戻ることを夢見て、娘をその手段にしようとした。
娘が裕福な家に嫁げば、家族もまた救われる。
そんな幻想に取り憑かれていたのだという。
彼女の幼い日々、実母は借金をして服や家具を揃え、家の貧しさをひた隠しにした。
婚約者が訪ねてくるとなれば、小さな彼女の口をガムテープで塞ぎ、物置に閉じ込めることさえあったという。
粗末な畳の冷たさ、暗闇の中で聞こえる母の足音――少女の心には、消えぬ傷が刻まれた。
しかし、婚約者が「妹に会わせてほしい」と言い出したとき、実母の目論見は崩れた。
焦燥の末、友人に「あげる」と言って娘を手放したのだ。
娘は他人の家に引き取られ、実母は「もううちの子ではない」として、結婚式にも出さないつもりでいたらしい。
*
控室の小窓からは、赤く色づいた夕陽が、街を柔らかく染めていた。
新婦はヴェールを外し、鏡に映る自分の目をじっと見つめていたという。
「あの女は、いつも私を不幸にする」
そう、彼女はぽつりと呟いたと後で聞いた。
声は静かで、けれどその奥には、長い年月をかけて積み上げられた憎しみと悲しみが、重い鉛のように沈んでいたのだろう。
それでも彼女は、式のあの日、誰よりも穏やかな笑顔を浮かべていた。
まるで、過去の苦しみをすべて封じ込め、今この瞬間だけを生きることを選んだかのように。
実母はやがて、実兄の裏切りであっさりと離婚し、再び貧しさの中に沈んでいったという。
息子も娘も去り、今は誰にも顧みられず、静かな孤独の中で暮らしているらしい。
新婦はその後、養父母に囲まれ、穏やかな毎日を送っている。
彼女の笑顔は、春の陽射しのように温かい。
しかしその奥には、いまだ消えぬ影が、そっと寄り添っているのかもしれない。
それでも私は思うのだ。
人は誰しも、過去の闇を抱えて生きていく。
それでも、幸福へと歩み出す力を持っている。
彼女の微笑みが、それを静かに教えてくれているような気がしてならなかった。
修羅場な話:薄闇に咲く、彼女の幸福——ある結婚式の肖像
薄闇に咲く、彼女の幸福——ある結婚式の肖像
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