三月の中旬、オフィスの窓から差し込む淡い春の陽射しが、パーティション越しに優しくデスクを照らしていた。
薄緑色のブラインド越しに揺れる木の影が、床にゆらゆらと模様を描いている。
空調の微かな唸りと、時折鳴る電話のベルが、いつもの昼下がりの静寂に溶け込んでいた。
ホワイトデー当日。
会議室での打ち合わせが終わった直後、課長がふいに現れ、片手にいくつかの可愛らしい包みを抱えていた。
包装紙はパステルピンクとホワイトが織り交ぜられ、ところどころに金色のリボンが結ばれている。
ひとつひとつ手渡されるたびに、柔らかな紙の擦れる音と、リボンが空気を切る細やかな感触が伝わってきた。
「これは……」目の前に差し出されたその贈り物は、どこか既視感を覚える形状だった。
長さは二十センチほど、ふっくらとした円筒形。
手に持つと、微かにひんやりとしていて、重さもタオルのような手応え。
包装の隙間から覗く白い布地のようなものが、まるで飲食店で出される清潔なおしぼりを連想させる。
「これ、何だろう?」
一番に声を上げたのは営業アシスタントの佐藤さん。
彼女の声は、どこか弾んでいて、しかし同時に少し戸惑いも混じっていた。
隣の席の山田さんが、目を丸くして贈り物を手の平で転がしながら「ハンドタオルじゃないかな?」とつぶやく。
さらに別の女子社員が「そうかも!」と小さく声を上げ、みんなで顔を見合わせながら、まるで謎解きゲームのように意見を交わす。
その場の空気は、ちょっとした祭りのように和やかだった。
誰もが微笑み、日常の業務から一瞬だけ解放された、柔らかな連帯感。
包装紙を指でなぞると、ほんのりとバニラのような甘い香りが漂っていたが、気づく人はまだいなかった。
手のひらには、リボンの結び目の感触と、紙越しのわずかな湿り気が残る。
「可愛いね」と誰かが呟く。
その言葉の裏には、受け取る側のささやかな期待と、贈る側への感謝が重なっていた。
全員が「タオルだと思う」と自信満々にうなずきながら、贈り物をそっと押してみたり、鼻先に近づけて確かめてみたり。
誰一人として疑いを抱く様子はなかった。
やがて定時を迎え、オフィスには徐々に夜の静けさが満ちていく。
パソコンのモニターの光が、帰宅準備をする手元を照らし、外は春雨の湿った匂いに包まれていた。
家路につく途中、贈り物の包みをバッグにしまった手に、ほんの少しの高揚感と、わずかな謎めいた余韻が残る。
帰宅後、明るいダイニングのテーブルにその包みをそっと置く。
部屋には、夕食の支度で炒め物の香ばしい匂いが漂っていた。
心のどこかで「やっぱりハンドタオルかな」と思いながら、慎重にリボンを解き、包装紙をそっと開く。
その瞬間、パリパリと細やかな音が響き、紙の中から現れたのは、想像もしなかった光景だった。
包みの中から出てきたのは、白いクリームがかすかにこぼれ、ところどころ崩れかけたスティック状のケーキ。
手に持つと、表面の粉砂糖が指先にふわりと付着し、しっとりとしたスポンジの感触が予想外のやわらかさで伝わる。
かじってみると、バターとアーモンドの香りが口いっぱいに広がり、ほのかな甘さが心にじんわりと染みていく。
しかし、形を保てずに崩れ落ちるその様は、どこか滑稽で愛らしくもあり、同時に「なぜこれをタオルだと思い込んでいたのか」という小さな自嘲が湧き上がる。
無意識のうちに笑いがこみ上げ、思わず独り言が口をついて出た。
翌朝、オフィスに入ると、いつもより早く出社した女性社員たちが、給湯室の片隅でぽつぽつと集まっていた。
コーヒーメーカーの湯気がぼんやりと立ち上り、豆の香ばしい匂いが漂う中、互いに目を合わせては「実は昨日……」と声を潜める。
「タオルだと思ってたよね!」
「私も!開けてびっくりした!」
「崩れてシンクに落としちゃったよ、ケーキだったのに!」
笑い声が連鎖し、しばしオフィスの朝は小さな歓声に包まれた。
その中には、贈り物の正体が明らかになった安堵と、思い込みの可笑しさ、そしてホワイトデーという小さな“事件”を共有することで生まれた、仲間同士の温かな一体感があった。
いつもの日常に、ふいに差し込む非日常の光。
あの贈り物は、単なるスイーツ以上に、春先のオフィスにさざ波のような余韻を残していったのだった。
仕事・学校の話:ホワイトデーの謎めいた贈り物と、解き明かされる真実の瞬間――五感と心理が交錯したオフィスでの一幕
ホワイトデーの謎めいた贈り物と、解き明かされる真実の瞬間――五感と心理が交錯したオフィスでの一幕
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