仕事・学校の話:白き贈り物は微笑の記憶に溶けて

白き贈り物は微笑の記憶に溶けて

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その朝、春の光はオフィスの窓辺に静かに降り注いでいた。
朝靄がまだ街を薄絹のように包み、始業前の静けさの中、彼女たちはそれぞれの席で小さな贈り物を手にしていた。

 ホワイトデー。

 名前も知らぬ誰かの好意が、見慣れぬ包みに変わる日。

 ラッピングは柔らかなパステルブルーのリボンで結ばれ、掌にすっぽりと収まる。

 それは飲食店で差し出されるおしぼりほどの長さと太さ。
妙に可愛らしいその佇まいに、自然と声が漏れる。

「これ、何だろう?」
 誰かが囁く。

「ハンドタオルじゃないかな?」
「そうかも!」
「タオルだと思うよ、巻いてあるしね」
「可愛いね」

 会話は淡い花びらのように、次々と机上に舞い落ちていく。
誰もが、疑いもなく「タオルだよ」と微笑みながら、包みを手の中でそっと押してみるのだった。

 彼女もその一人だった。
春を思わせる小さな幸福感が、胸の内にじんわりと広がっていく。

 *

 夜、彼女は自室のデスクにその贈り物を置いた。
外では雨上がりの土の匂いが窓の隙間からふわりと漂い、家の静謐が一日をやわらかく包み込んでいる。

 リボンを解く指先が、わずかに震えていた。

 きっと、誰かの心遣い。
きっと、ささやかな日々のご褒美。

 そう信じて、彼女は包装紙をそっと剥いだ。

 だが、現れたのは、予想だにしなかったものだった。

 タオルだと思い込んでいたその中身は、崩れかけたスティック状のケーキ。

 スポンジはぼろぼろと、まるで長い旅路の果てに力尽きたかのように、ラップの中で静かに横たわっていた。

 驚きと戸惑いが、彼女の胸をかすかに揺らす。

 どうして、タオルだと信じて疑わなかったのだろう。
自分の浅はかさに、思わず小さく笑いが漏れた。

 *

 翌朝。

 東の空が白み始め、夜の帳がゆっくりと上がっていく。

 いつものように出社した彼女は、同じ課の女性たちと顔を合わせた。

 一瞬、沈黙。

 そして、誰からともなくこぼれる笑い声。

「……やっぱり、みんなケーキだったんだ!」
「私もタオルだと思ってたのに!」
「家で包みを開けて、びっくりしたよ」
「しかも、ぼろぼろだった……」

 笑いは次第に大きくなり、部屋の空気がやわらかく満ちていく。

 嬉しさと可笑しさ、そしてほんの少しの切なさが、春の光の中で溶け合っていくようだった。

 贈り物は形を変えて、記憶の中で静かに微笑んでいた。
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