昼下がりのオフィスには、蛍光灯の白い光と、微かなキーボードの打鍵音が満ちていた。
窓の向こうには、初夏の陽射しが淡くビルの屋上を照らしている。
空調の冷たい風が書類の端を震わせ、微かに印刷インクの匂いが漂ってくる。
Aは自席に腰を沈めた。
広い執務フロアの一角、彼のデスクの上には、午前中の会議で使ったメモが無造作に積まれている。
ふと隣の席を見ると、いつもは賑やかなBの姿が見当たらなかった。
──こんな広い会社で、人ひとりの気配が消えるのは容易い。
Aはポケットから携帯電話を取り出し、その手触りの冷たさに一瞬だけ現実を思い出す。
指先に汗が滲む。
目の前の液晶に表示されるBの名前。
「……出てくれよ」
小声で独りごち、通話ボタンを押した。
呼び出し音が二度、三度。
Aは無意識に椅子を揺らす。
そのとき、真後ろのデスクで微かな物音がした。
けれど、それが誰なのか、Aは確かめることもなく、電話を耳に当て続けた。
「もしもし、Bさんですか?」
言葉を発した瞬間、背中越しに聞き覚えのある声が重なった。
「もしもし?」
Bの声だ。
あまりにも近い。
電話越しに響くはずの声が、現実世界に溶け込んでくる。
その違和感に、Aの心臓は一拍大きく跳ねた。
──まさか。
Aは振り向く。
すると、そこにはBがいた。
背中合わせに座り、驚きと戸惑いが入り混じった表情で携帯を持っている。
「なんで……」
二人の声が重なる。
周囲の同僚たちが、一斉に笑いの花を咲かせた。
「まさか、ここにいるとはね」
Bが呆れたように笑い、Aも、ひと呼吸遅れて頬を緩める。
背中合わせ――。
それは、たった数十センチの距離なのに、まるで遠い誰かに連絡を取ろうとしていた自分が可笑しかった。
電話越しの声と現実の声が重なった一瞬、オフィスという広大な迷路の中で、思いがけず交差したふたりの時間。
Aは、自分の中にあった緊張や焦燥が、氷が融けるように静かに消えていくのを感じた。
笑い声がしばらくオフィスに残響し、やがて再び、キーボードの音が小さな波紋のように広がっていった。
仕事・学校の話:背中越しの微笑──オフィスに響く二人の声
背中越しの微笑──オフィスに響く二人の声
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