小学生期の記憶喪失体験にみる解離と自己同一性の心理分析

本事例では、小学3年の冬から4年5月までの間の「思い出せない記憶」という現象が語られています。
まず表層的な行動として、本人は校庭でサッカーをしていた場面から突然、学校の廊下の鏡の前に立っている自分に気づき、時系列の連続性が断絶しています。
このような「時間の飛躍」は、解離症状の一形態として理解できます。
解離とは、強いストレスや葛藤状況下で、意識や記憶、自己同一性が一時的に分離される現象を指します。

本人は鏡に映る自分を見て混乱し、成長した身体や周囲を確認しながら、不安と恐怖を感じています。
これは「自己同一性（アイデンティティ）」の感覚が揺らいだ瞬間と言えるでしょう。
精神分析的観点からは、アイデンティティの危機や「自己感の拡散」が生じている状態であり、特に発達段階における児童期には自己像の安定がまだ確立されていないため、強いストレス下でこうした現象が誘発されやすいと考えられます。

本人が「名札」や「教室の位置」など外的手がかりを頼りに状況把握を進めていったのは、「現実検討能力」の回復過程とみなせます。
これは、解離や混乱から徐々に現実に再適応しようとする認知的防衛反応です。

また、「ノートに書かれた字は自分のものなのに、書いた記憶がない」という経験は、自己の行動が自己のものとして認識できない「自己疎外」や「自己分裂」的な感覚を伴います。
これは防衛機制としての「抑圧」や「否認」、あるいは自我境界の一時的な曖昧化とも関連します。

本人が周囲（家族や友人）にこの体験を隠し、「忘れちゃった」と笑ってごまかした行動は、社会的適応を維持するための「合理化」や「否認」という防衛機制の発動と解釈できます。
加えて、「普段からボーッとしていた」という自己認識は、自分の異常体験を周囲に受け入れてもらえないという「否定的帰属（自己責任帰属）」を和らげるための認知的適応かもしれません。

さらに、「別の人格がいたのでは」との思考は、自分の意識しない部分が行動していた（いわゆる“解離性同一性”への連想）という内的説明を試みている点が興味深いです。
これは「原因帰属理論」でいう内的要因への帰属であり、本人の混乱や不安に対する合理的説明を探す認知的努力がうかがえます。

このような記憶喪失や時間の断絶体験は、トラウマや強い心理的ストレス反応（PTSD的反応）とも関連が指摘されていますが、必ずしも明確な外傷体験がなくとも、発達段階特有のアイデンティティ形成の揺らぎや、家庭・学校環境でのストレス要因が複合的に関与している可能性が考えられます。

最後に、「もし大人になって2〜3年同じことが起きたら…」という思考は、自己同一性の崩壊や現実感の喪失への根源的な恐怖（存在不安）を示しています。
この不安を抱えつつも、語り手は自分の経験を内省し、意味づけようとしています。
これは「自己探求」や「心理的成長」への萌芽とも捉えられ、困難な体験を通じて自分の内面世界に向き合うプロセスの一端といえるでしょう。

本事例からは、解離、防衛機制、アイデンティティ発達、認知的適応など、複数の心理学的メカニズムが重層的に絡み合い、個人がストレスや不可解な体験にどう対処し、意味づけていくかの過程が観察されます。
本人の体験には苦痛や不安が伴っていますが、その背景には自己の安定や社会的適応を維持しようとする、無意識的なこころの働きが存在しています。