不思議な話:時の狭間で迷い合う二人の記憶と再会——“同じ場所”の異なる世界で起きた奇妙な約束

時の狭間で迷い合う二人の記憶と再会——“同じ場所”の異なる世界で起きた奇妙な約束

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午後の陽射しは、春の終わりを告げる柔らかな金色に満ちていた。
歩道に並ぶ緑の並木が揺れ、葉擦れの音がかすかに耳に届く。
僕は、淡い緊張と申し訳なさを胸に、約束の場所へと向かっていた。
いつも僕が遅れて、彼女の小さなため息や、気まずそうな笑顔を見てきた。
その度に胸の奥がチクリと痛む。
そんな彼女の時間を、今日こそは無駄にしたくなかった。

 腕時計の針は約束の時刻より10分も早く、僕の到着を告げていた。
目の前には公園のベンチが一つ。
陽の光が木々の葉を透かし、ベンチの上にモザイク模様の影を落としている。
湿った土と新芽の匂い、そしてどこか懐かしい、春特有の甘い風。
僕は深呼吸をひとつして、鼓動を落ち着かせた。
ポケットの中のスマートフォンが手のひらにしっとりと馴染む。

 周囲の物音がやけに鮮やかに響く。
遠くで子どもたちのはしゃぐ声、自転車のチェーンが軋む音、犬の足音。
時折、微かに漂うベンチの古びた木の香りが、なぜか心を落ち着かせる。
僕はベンチに腰掛け、彼女が来る方向をじっと見つめた。

 約束の時刻が訪れても、彼女は現れない。
時間は静かに、けれど確実に進んでいく。
僕の指先は無意識に膝の上で踊り始め、唇が乾く。
心臓の鼓動が、耳の奥でいつもよりも強く鳴り響くのを感じる。
不安と期待が胸の奥でせめぎ合い、記憶の中の彼女の顔が浮かんでは消える。

 さらに10分。
時計の秒針が一周するたびに、僕の中の焦りが増していく。
何かあったのだろうか。
事故? それとも、僕が何か怒らせてしまったのだろうか。
そんな不安が、冷たい汗となって背中を伝う。
空気が急に重くなった気がして、呼吸すら窮屈に感じる。

 意を決してスマートフォンを手に取り、連絡を入れようとしたその瞬間、画面が震え、彼女からメッセージが届く。
ディスプレイに浮かんだ文字は、短く、しかしどこか苛立ちの滲むものであった。

 「今、どこにいるの?」

 彼女の声が脳裏に響く。
いつもより少し高く、鋭い。
僕は慌てて返信する。
「○○のベンチにいるよ」と。
ここしかないはずだ。
間違える余地などない。

 しかし、すぐに返ってきた彼女の答えは、僕の想像を超えていた。

 「何を言ってるの?私もそこにいるのに」

 一瞬、頭の中が真っ白になる。
冗談だろうか? だが彼女はそんな嘘をつくタイプではない。
公園は広くはない。
ベンチは一つきり。
僕たちは、これまで何度もこの場所で会ってきた。
彼女の言葉の矛盾が、僕の不安をさらに増幅させる。

 「私も待っていた」と送信する。
指が震えていた。
だが、彼女からの返事は頑なだった。
「絶対にここにいるはずなのに、あなたが見えない」。
二人の間に、重苦しい沈黙が流れる。
画面の向こうで、彼女もまた困惑しているのだろう。
メッセージのやり取りすら、まるで別世界と交信しているような遠さがあった。

 しばらくして、彼女がぽつりと打ち明ける。

 「今、自転車に乗った人が通ったけど、服装や性別、わかる?」

 その瞬間、僕の目の前を通り過ぎたばかりの、青いパーカーを着た中年男性の姿が脳裏に蘇る。
僕はそのまま彼女に伝えた。
「青いパーカーを着た男の人だった」と。

 「私も、その人を見た。
でも、あなたはいなかった」

 言葉が途切れる。
僕たちは、同じ空間にいるはずなのに、なぜか決して出会えない。
視界の端に映る風景は、どこか現実感を失い、空気の温度さえ不安定に感じられる。

 僕は提案した。
「今いる場所の写真を撮って、送り合おう」。
彼女もすぐに同意した。
お互い、それぞれの視点で、空、雲、公園の時計台、ベンチの様子を写真に収める。
スマートフォンのシャッター音が、やけに大きく響いた。

 送られてきた写真を開いた瞬間、息を呑んだ。
彼女から届いた画像は、僕が撮ったものとほとんど同じ。
空の色、雲の形、時計の針の位置、ベンチの木目までもが、まるで鏡合わせのように一致している。
だが、写真のどこにも、互いの姿は写っていない。

 混乱が胸を締めつける。
僕たちは本当に“同じ場所”にいるのだろうか? それとも、見えない境界線の向こう側にいるのか? 僕は何度も周囲を見渡し、ベンチの下や木立の陰まで目を凝らしたが、彼女の気配はどこにも感じられなかった。
風が一層強くなり、頬に冷たく吹きつけた。

 やがて、諦めにも似た諦観が心を覆う。
何が起きているのか、どう説明すればよいのか分からない。
耳鳴りのような静寂が降りてきて、時折、遠くで鳥が鳴く声だけが現実感をつなぎとめていた。

 しばらくその場に座り続けたが、気味の悪さがじわじわと全身を侵食してきた。
理屈の通らない不可解な現実に、喉がひどく渇く。
僕は重い足取りでその場を後にし、家路についた。
後ろを何度も振り返ったけれど、やはり彼女の姿はなかった。

 その夜、眠れぬままベッドに横たわっていると、スマートフォンが震えた。
彼女からの電話だった。
受話器越しに聞こえる彼女の声は、どこか心細げで、かすかに震えていた。
二人は互いの体験を語り合い、言葉にできない恐怖や不安をぶつけ合った。
通話は深夜を過ぎ、夜が明ける頃まで続いた。
話すほどに、二人の間にあった見えない壁が、少しずつ溶けていくような気がした。

 「もう一度、あの場所へ行こう」

 彼女がそう提案したとき、僕の胸に再び鼓動が蘇った。
今度こそ、会える気がした。

 翌日、同じ時間、同じ場所。
公園のベンチは変わらずそこにあり、木漏れ日が静かに降り注いでいた。
遠くから、彼女の姿が見えた。
彼女も僕に気づいたのだろう。
駆け寄る彼女の頬には涙が伝い、僕の視界も滲んだ。
二人は無言で抱き合い、しばらくその場から動けなかった。

 あのとき、異世界に迷い込んだのは、僕だったのか、彼女だったのか。
それとも、世界の方が二人を試したのか――今も答えは分からない。
ただ、二人の心に刻まれたあの奇妙な体験が、これから先も、ふたりの間に特別な絆として残り続けることだけは確かだった。
読了
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