冬の朝は、白い靄が窓硝子を曇らせていた。
私はその曇りの向こうに、かすかに揺れる街の輪郭を見つめていた。
静かな部屋のなか、距離を置いて佇む私の影――それは、かつて友と呼んだ女の影にも似ていた。
彼女はよく、電話をかけてきた。
画面が光る度、私は一瞬だけため息をつく。
彼女の声は決まって、どこか哀れみを乞う猫のように震えていた。
「私が守らないと、彼が壊れてしまうの……奥さんと子供なんて、寄生虫よ」
彼女はそう繰り返した。
まるで自分の正義を信じる少女のように、純粋で、残酷だった。
私は時折、彼女のその信じきった眼差しが怖くなった。
彼女のメールは、悲劇のヒロインを演じる言葉で埋め尽くされていた。
「私って可哀想な女なの!」と、夜ごと訴え続ける。
私は黙って画面を閉じる。
けれど、彼女の一方的な電話は止まることを知らなかった。
話の中心は、常に彼女自身だった。
ある夜、私はつい小さな声を漏らした。
「不倫は良くないよ、奥さんと子供の気持ちも考えて」
その途端、彼女の声が電話口で爆ぜた。
怒りと悲しみと、どうしようもない孤独が絡み合い、私の耳を刺した。
やがて沈黙。
けれど数日を置いて、またメールの洪水が始まった。
*
年の瀬の冷たい風が、窓の隙間から忍び込む頃だった。
彼女が突然、私の家を訪れた。
ドアを開けると、彼女の頬は濡れていた。
「今日は彼と温泉に行くはずだったの。
でも、子供が熱を出して中止になったのよ。
絶対わざとよ……!」
彼女はしゃくりあげながら、私のリビングに倒れ込むように座り込んだ。
私はその姿を遠巻きに見ていた。
台所の片隅には、熱のせいでぐったりと横たわる我が子たち。
それでも彼女は、自分の不幸だけを泣き叫ぶ。
私はついに、胸の奥に溜まった濁流を吐き出した。
「もう、いい加減にしてよ。
この屑女。
あんたみたいな人に父親を奪われる子供の方が、よっぽど可哀想だよ。
……もう出て行って。
二度と来ないで!」
その瞬間、時間が止まったかのようだった。
彼女は一瞬、石像のように固まり――やがて目を吊り上げて、怒りと共に部屋を出て行った。
閉まる扉の音が、やけに重く響いた。
*
私は彼女を許さなかった。
不品行を嫌う義父母へ、不倫の証拠を送りつけた。
冬枯れの夜、義父母の怒号が電話越しに荒れ狂った。
やがて不倫は露見し、彼女は慰謝料を請求された。
けれど、義父母は一銭も払おうとしなかった。
「自分で働いて返せ」とだけ告げたという。
その後、彼女は郊外の工場で働くことになった。
今月のはじめ、彼女はひっそりと引っ越していったらしい。
私は彼女の新しい住所も知らなかった。
冬の風が夜毎、窓を叩く。
かつての友情も、彼女の涙も、すべて遠い過去の靄の彼方に消えていく気がした。
私はただ、重く冷たいコーヒーを一口飲む。
苦さが、静かに胸の内に広がる――それは、もう戻らない何かを告げているようだった。
スカッとする話:寄生と赦し――冬の窓辺にて
寄生と赦し――冬の窓辺にて
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