数年前の、あの冬の終わり。
空は低く重く、雲間から差し込む淡い陽光も、まるで悲しみを祝福するかのように冷ややかだった。
父は、静かに息を引き取り、その後を追うように、母までもが脳梗塞で逝った。
病室に漂っていた消毒液の匂い、機械の規則正しい電子音、そして母の手のぬくもりが失われていく瞬間の、あの耐えがたい静寂——それらは今も、私の記憶の奥底に焼き付いている。
母の葬儀は、静かな密葬を選んだ。
親戚も少なく、子供は私ひとりだったから、ひっそりと見送るつもりだった。
けれど、あの日、私たちが集ったあの古い葬儀場の薄暗い廊下は、悲しみよりもむしろ緊張と不穏な気配で満ちていた。
蝋燭の炎が不規則に揺れ、線香の煙が静かに天井へと昇っていく中、母の棺の前で私は膝をつき、すすり泣くことしかできなかった。
喉が乾き、涙で顔が熱くなる。
壁の古い時計の針が、やけに大きな音で時を刻んでいた。
そんな中、あの女——義母、つまりトメが現れた。
黒い喪服に身を包んではいたが、その顔にはまるで仮面のように冷笑が貼りついていた。
足音は硬く、床板を打つ音が耳に刺さる。
彼女が放った最初の言葉は、まるで空気を裂く刃のようだった。
「この家も、これで終わりかしらねぇ。
あんたの母親も、ろくなもんじゃなかった。
」
その声は、静かな会場に異様な響きを残した。
私の心臓は一瞬止まったかのようになり、周囲の空気が急に重くなるのを感じた。
親戚たちも一斉に顔を上げ、義母を睨みつける。
だが当の本人は意に介さず、口元を歪めて自分の放った暴言にクククと笑い出した。
その笑い声は、会場に満ちた悲しみを一瞬で凍り付かせ、私の背筋を冷たい棘が這い上がる。
夫と義姉の夫が、義母の両腕を掴み、無理やり引き止めようとした。
その時、義母は突如として身体を大きく振った。
次の瞬間、義姉夫に頭突きを食らわせたのだ。
鈍い衝撃音と同時に、義姉夫の鼻から鮮やかな赤い血が噴き出した。
血の匂いが一気に広がり、その鉄錆のような臭いに私は思わず息を呑む。
義姉夫の顔は真っ青になり、手で鼻を押さえながら膝をつく。
床に血がしたたり落ち、カーペットに不吉な染みを作った。
場は一気に混乱に包まれた。
義姉が慌てて駆け寄り、震える手で夫を介抱し、叔母は青ざめた顔で携帯電話を取り出し、救急車の手配を始める。
その声は上ずり、指は震えていた。
叔父はパニックになりながら会場内を行き来し、何かを叫んでいた。
私は、ただ母の棺にしがみつくことしかできなかった。
棺の表面に触れた指先は冷たく、涙で濡れた頬が木の表面に貼り付く。
自分の無力さと、家族が一瞬で壊れていく様を、ただ見つめるしかなかった。
そんな混沌の只中、駆けつけた義父(ウト)が目にしたのは、まさに地獄絵図だった。
義姉夫は血だらけで、義姉は泣きながら必死に介抱している。
私は力なく棺にしがみつき、その場から動けない。
叔母は救急車の到着を待ちながら、何度も電話越しに状況を説明している。
叔父は未だに右往左往し、会場の空気は異様な緊迫感で満ちていた。
そして、義母は怒り心頭のお坊様に説教されていた。
お坊様の声はいつになく低く、冷ややかで、まるで仏の顔も三度までという諺そのものだった。
冷たい廊下に響くサイレンの音が、遠ざかる現実感を引き戻す。
私は、葬儀という本来静謐であるべき場所が、ひとつの家族の崩壊を象徴する場となったことを、呆然と受け入れるしかなかった。
密葬にしたのは、せめてもの救いだったのかもしれない。
あの惨劇を、これ以上外部の目に晒すことはなかったのだから。
後日、義姉夫の診断結果が知らされた。
鼻骨骨折。
見舞いに行こうかと頭をよぎったが、あの日の光景がフラッシュバックし、私はどうしても足が向かなかった。
結局、あの事件をきっかけに、義父母、義姉夫婦、そして私たち夫婦、家族全員が離婚した。
長年積み重なった不信や憎しみが、一夜にして臨界点を超えたのだ。
家族アルバムも、かつての団欒も、全てが遠い過去の幻となった。
私の心には、底知れぬ虚無と、かすかな安堵、そして言いようのない怒りが渦巻いていた。
数年が過ぎたある日、叔母の家に、私宛の手紙が届いた。
差出人は、あの義母。
手紙の紙質は安っぽく、筆跡は震えていて、かつての尊大さは微塵も感じられなかった。
封を切った瞬間、微かなインクの匂いとともに、過去の亡霊が這い出してくるような気がした。
義母は手紙にこう綴っていた——事件後、家族に強制的に老人ホームに入れられ、以後一切の連絡が絶たれていること。
数年前、脳梗塞で倒れ、ホームの手厚い介護のおかげで一命は取り留めたものの、今も体の半分は麻痺したままだということ。
そして、「これは嫁子母の呪いではないだろうか」と、まるで他人事のように書かれていた。
手紙の文末には、こうあった。
「どうか、私の罪が軽くなるように、嫁子母にお願いしてください。
そして、もし子供たちに連絡が取れるなら、一目だけでも顔を見せてほしい」と。
私は静かに手紙を読み終え、心の中で冷たい笑みを浮かべた。
ええ、全部知っていますよ、トメさん。
私たちは離婚後、あなたを老人ホームに入れたその後、再婚しました。
もちろん、私の姓で。
義姉夫婦も同じく、姓を変えて新しい生活を始めています。
かつて義姉夫婦が結婚する際、「自分の家の姓じゃなきゃ絶対にダメだ!」と、あなたが頑なに駄々をこねていたのを、私は今でも鮮明に覚えています。
けれど、皮肉なことに、今や○家はあなたが最後になってしまったのです。
婿養子だった義父も、元の苗字に戻り、今では孫たちの良き祖父として静かな余生を送っています。
でも、私はそれをあなたに伝えるつもりはありません。
たとえあなたの心臓が今にも止まりそうなほど危険な状態でも、そのまま静かに地獄へと歩んでいけばいい。
「嫁子母の呪いじゃないだろうか」——この言葉さえなければ、実子二人には知らせてあげるつもりだったと、後で聞いた。
けれど私はノータッチ。
私と子供たちに二度と関わらない限り、どうでもいい。
けれど、この期に及んで「呪い」という発想に至るあたり、トメは昔から、自分が悪い時には「私が悪いのよね、でも本当はこれこれこうじゃないかしら」と、責任転嫁を繰り返してきた。
その卑劣な手法は、今も変わっていない。
実子たちと元夫——義父は、あなたが全く反省していないと判断した。
だから、トメの家や財産、その他の手続きも全て粛々と終わらせた。
もう、何がどうなろうと誰も気にかけない。
葬儀場の線香の香り、血の匂い、冷たい棺の感触——あの夜のすべてが、私の中でひとつの時代の終焉を告げている。
そして今、あなたの手紙を前にして、私はほんの少しだけ、静かな終止符が打たれたことを感じている。
修羅場な話:母の棺と血塗られた夜、崩壊する家族と義母の呪い——沈黙と叫びが交錯した葬儀の全記録
母の棺と血塗られた夜、崩壊する家族と義母の呪い——沈黙と叫びが交錯した葬儀の全記録
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