修羅場な話:終焉の棺に降る、赦しなき春の雨

終焉の棺に降る、赦しなき春の雨

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春の雨は、時に優しく、時に執拗に、街を洗い流していく。
父が逝き、続けて母が脳梗塞で倒れた日のことを、私は今も雨音とともに思い出す。
あのときも、冷たい雫が窓を叩いていた。
土の匂いが、雨に溶けて部屋中に広がっていた。

 母の棺の前に座り込む私を、ぽつぽつと親戚たちが取り囲んでいた。
その数は少ない。
私はひとりっ子だったし、母の希望で葬儀は密葬となった。
静かなはずのその場に、突如として、嵐のような声が降ってきた。

 「こんな女のところに嫁がせるんじゃなかったわねえ!」

 トメ——あの人は義母であることを誇るように、黒い喪服の裾を踏み鳴らし、無遠慮に笑い声を響かせた。
笑いは、棺の花々の間をすり抜け、私の耳を刺した。
夫と義姉の夫が慌てて両脇から彼女の腕を取る。
だが、次の瞬間、義姉夫の鼻に、鋭い音とともに頭突きが入った。
血が流れる。
赤は、白い花弁に滲んで、不吉な模様を描いた。

 駆け寄ってきた義姉が義姉夫を抱き起こし、叔母は慌てて救急車を呼び、叔父は右往左往していた。
そんな混乱の只中、お坊様の怒声が本堂に響いた。
トメは説教に俯き、だが、瞳の奥にはどこか他人事の光があった。

 私は母の棺にしがみついていた。
冷たい木肌は、現実を拒む私の手を拒まなかった。
何もかもが、遠い夢の一場面のようだった。

 義姉夫は鼻の骨を折った。
あの夜のことは、私の中で長い間、傷として疼き続けた。

 あの一件の後、私たち夫婦も、義姉夫婦も、ウトメも皆が離婚した。
家族という形は音もなく崩れ去り、残されたのは、静まり返った家と、雨音だけだった。

    *

 数年の時が過ぎた。
季節は巡り、また桜が散り始める頃、叔母の家に一通の手紙が届いた。
差出人は、あのトメだった。
震える文字が綴る、言い訳と哀願。

 ——事件の後、家族に強制的に老人ホームに入れられ、連絡が取れなくなった。
数年前に脳梗塞で倒れたが、ホームの手厚い看護で命に別状はない。
ただし、今も体の半分が麻痺したままだという。

 「これは、あなたのお母さんの呪いではないかしら。
お願い、私の罪が少しでも軽くなるよう、あなたのお母さんに祈ってほしい。
そして、もし子供たちと連絡が取れるなら、顔を見せてほしい。


 私は手紙を握りしめたまま、しばらく動けなかった。
指先に伝う紙のざらつきが、現実の重みを静かに告げていた。

 ええ、全部知っていますよ、トメさん——私は心の中で、静かに呟いた。

 私たちは離婚の後、あなたを老人ホームへ送り、そして再婚しました。
私の姓で、義姉夫婦も同じ姓を選びました。
かつてあなたが「自分の家の姓でなければダメだ」と駄々をこねたことを、私は忘れていません。
今や、その家はあなたが最後。
そして、婿養子だったウトも旧姓に戻り、孫たちの良き祖父として穏やかな日々を送っています。

 でも、教えません。

 もしあなたの心臓が危うくなったとしても、私は何も伝えないでしょう。

 「嫁子母の呪いじゃないか」——あなたの手紙がその言葉で締めくくられていなければ、実子たちはもしかすると会いに行ったかもしれない。
でも、あなたは最後まで、責任を他者に押し付けてきた。
自分が悪いと口にしながら、心の奥底では「本当は違う」と言い訳を探している。

 私は、何も感じなくなっていた。
表面は静かでも、胸の奥では何かが凍てついていた。

 トメの家も、財産も、すべて手続きは終わっている。

 春の雨が、再び窓を叩く。

 赦しの言葉は、もはやこの家には降らない。

 ——もう、いい。
全て終わったのだ。
読了
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