その年の春、朝靄が校庭の向こうに薄くたなびき、教室の窓ガラスにはまだ冬の名残の冷たさが残っていた。
わたしが小学四年生だった頃、クラスには静かに、しかし確かに「心霊ブーム」と呼ばれる奇妙な熱が広がっていた。
発端は、Gという少女だった。
Gは小柄で、黒髪の揺れる様がどこか儚げだった。
ある日、彼女は突然「わたし、霊が見える」と呟くように言った。
その声は風がカーテンを揺らす音のように、誰にも聞き流せない響きを持っていた。
クラスの子たちは、磁石に吸い寄せられる鉄片のように彼女のもとへ集まった。
Gはみんなの手を取り、白い指で掌に図形を描いていった。
それが「霊能力」を示すしるしだと、彼女は静かに微笑んだ。
わたしも手を差し出すと、Gは小さな十字架を描いた。
その瞬間、どこか胸の奥が温かくなった。
まるで特別な秘密を分け与えられたような気がしたのだ。
やがて、Gは「霊界に行く方法を見つけた」と言い出した。
昼休み、教室に残った子どもたちは机にうつ伏せて目を閉じ、「霊界に行く遊び」を始めた。
窓の外では、春の鳥たちがさえずっていたが、教室の空気だけが異様に静まり返っていた。
みんなは次々と「川を見た」「おじいさんに会った」と囁き合った。
けれど、わたしにはなにも見えなかった。
頬に触れる机の冷たさだけが、現実をしっかりと伝えてくる。
Gは次第に、教祖のような存在になっていった。
彼女のまわりには、静かな信仰にも似た雰囲気が漂っていた。
ある日、Gは「戻ってこられない」と言って、長い間目を開けなかった。
先生が駆けつけ、Gを揺り起こそうとしても、彼女は微動だにしなかった。
窓の外では、春の嵐が木々をざわつかせていた。
結局、Gは保健室に運ばれていった。
翌日、Gは何事もなかったかのように登校した。
しかし、その「遊び」はすぐに禁止された。
*
ほどなくして、Gの母親がため池で亡くなった。
事故死とされたが、その池は子どもがザリガニを捕まえる程度の浅さだった。
大人が溺れるはずがない――そんな疑念が、クラス中に静かに広がった。
母親の死を境に、Gは急速におとなしくなっていった。
休み時間には窓辺に座り、遠い空を見つめていた。
彼女の周りだけ、時間が止まっているようだった。
誰も近づこうとはしなくなり、Gはゆっくりと孤立していった。
*
季節が巡り、わたしたちは五年生になった。
桜の花びらが新しい教室の窓を舞い抜けていく。
クラス替えがあったにもかかわらず、Gはまた同じクラスにいた。
ある放課後、Gがわたしの隣にそっと座った。
彼女の声は、長い冬を越えたあとの雪解け水のように、かすかに震えていた。
「お母さんに会いたいの。
霊界から呼び出す方法があるから、協力してくれない?」
Gの瞳は、深い湖の底のように静かだった。
わたしは何も言えず、ただ頷いた。
かわいそう、という感情だけではなかった。
どこか、その寂しさを分け合いたいと思ったのだ。
Gは、もう一人の女の子と、男の子三人を集めてほしいと頼んだ。
人集めは不思議と簡単だった。
日曜日の朝、六月の雨上がりの匂いが漂う○○山の登山口に、わたしたち六人は集まった。
Gは先頭に立ち、濡れた草を踏みしめて山道を進んだ。
道はやがて獣道へと変わり、木漏れ日が地面に不規則な模様を描いていた。
やがて、木々の隙間から、ぽっかりと口を開けた洞穴が現れた。
洞穴の中はひんやりとして、外の世界と切り離されたようだった。
Gは紙でできた小さな人形を取り出し、一人ずつに配った。
「名前を書いて」と彼女は言った。
わたしは震える手で自分の名前を書き込んだ。
ろうそくの淡い炎が、洞穴の壁に揺れる影を描いた。
わたしたちは円を作って座り、Gが小さな声で「お母さんを呼び出す」と呟いた。
その時、わたしの手に、氷のように冷たい何かが触れた。
思わず叫びそうになるのをこらえたが、反射的に手を振り払ってしまった。
その瞬間、洞穴の奥から風が吹きぬけ、ろうそくの火が一斉に消えた。
闇が急速に広がり、息苦しさが胸を締めつけた。
パニックに陥ったわたしたちは、転がるように洞穴の外へと飛び出した。
外の世界は、さっきまでとは違う静けさに包まれていた。
だが、Gの姿だけが、どこにもなかった。
誰も、洞穴に戻ろうとは言わなかった。
ようやく男子三人が中を確認したが、Gは見つからなかった。
「Gのいたずらだろう」――そう言い合いながら、わたしたちは解散した。
しかし、翌日、先生から「Gが家に帰っていない」と聞かされた。
わたしたちは、昨日の出来事を先生に話し、現場へと案内した。
だが、そこには、洞穴などどこにもなかった。
ただ、風にそよぐ雑草と、雨に濡れた静かな森が広がるばかりだった。
その後も、Gは見つからなかった。
時間だけが、何事もなかったかのように流れていった。
今もふと、あの日の冷たい手の感触を思い出すことがある。
もし、あの時、わたしが手を離さなかったら――Gは今も、どこかで誰かの手を握り返しているのだろうか。
霧の向こう側で、あの日の続きを、静かに待ち続けているのだろうか。
不思議な話:霧の向こうに消えた少女――わたしたちの「霊界」遊び
霧の向こうに消えた少女――わたしたちの「霊界」遊び
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