赤いマニキュアの指――都市ホテル怪異譚にみる無意識、不在、そして実存の境界

■これは「他者の不在と不可視の恐怖」をめぐる物語である。

1. 【導入：現象の整理と問題提起】
本作は、出張先の仙台で主人公が体験する一連の怪異を描く。
謎の電話、不可視の存在、赤いマニキュアの指、そして翌朝発覚する女性の転落死――出来事は一見して心霊体験の定型をなぞるが、細部には現代人の不安や無自覚な恐れが刻まれている。
ここで問うべきは、なぜ「見知らぬ他者」の出現がこれほどまでに恐ろしく、また不可避に感じられるのかという点である。

2. 【展開：多角的分析】
（1）心理学的分析――無意識の投影と防衛
主人公は、「神藤」と名乗る見知らぬ女性からの電話や、エレベーター内での背後の気配に強い不安を覚える。
一見、外的な怪異であるが、これは自己が制御できない“無意識”の投影として解釈できる。
フロイト的には、抑圧された不安や罪悪感が外部の存在として現れる現象（外在化）である。
加えて、赤いマニキュアの指は、女性性や欲望、死の徴候といった元型的イメージを刺激し、防衛機制（否認・回避）が機能不全に陥る瞬間を象徴する。

（2）社会・文化論的側面――都市空間と他者性
安ホテルという匿名性の高い空間は、現代都市社会における「顔のない他者」との遭遇のメタファーとなる。
フロント係すら電話の内容を忘却する場面は、情報過多と個人化が進む社会の記憶喪失状態を突きつける。
加えて、女性の転落死という事件は、都市における孤独や「見捨てられ感」を浮き彫りにする。
赤いマニキュアはジェンダー記号としても読め、社会的に不可視化される女性の存在が怪異として強調される。

（3）哲学的・実存的分析――死と他者の問い
物語の終盤、主人公は「偶然ではなかった」と直感し、死者の指に赤いマニキュアを見出す。
この“指”は、ラカン的な「欠如の指標」でもある。
すなわち、現実に存在しながらも決して完全には「現前しない」他者（＝不在の右手）が、我々の実存の不安を呼び起こす。
ここには「見ること」と「見えないこと」、他者と自己の断絶という根本的な認識論上のジレンマが潜む。

3. 【深化：象徴と神話の解釈】
赤いマニキュアの指は、単なる怪奇現象ではない。
神話論的には、死者の遺した印（スタイン、印章）は「境界を侵犯するもの」の象徴である。
また、血や赤色は生と死、欲望と禁忌の両義的な意味を持つ。
ホテルという“異界”で、現実と非現実、自己と他者、生と死の境界が曖昧化する。
その曖昧さこそが、現代の恐怖の深層を形づくる。

4. 【統合：総合的視点と普遍的テーマ】
本作を貫くのは、「不在の他者」との遭遇が生む実存的恐怖である。
都市社会の匿名性、個人の内的孤独、そして“見ることのできないもの”への根源的不安。
それらは、単なる怪談を超えて、「現代における他者理解の困難さ」「死をはらむ存在論的な空白」「境界の侵犯とその倫理的含意」といった普遍的テーマを浮き彫りにする。

■結論：
「赤いマニキュアの指」は、都市の匿名性と個人の孤独、そして不可視の他者への根源的な畏れが交錯する現代の寓話である。
怪異は外部からやってくるのではなく、自己の無意識と社会構造、そして死の不可避性が織り成す“隙間”から立ち上がる。
つまり、本作は「見えないもの」「不在のもの」とどう向き合うかという、現代人に突きつけられた普遍的な実存の課題を問いかけているのである。