この体験がオカルトや怪談に属するのか、正直自分でも判然としない。
ただ、ほかに吐き出す場もなく、この記憶の全てを克明にここに記すことにする。
あの夜、僕の五感は未知の恐怖に晒され、心の奥底に今も鮮烈な痕跡を残している。
断片的な会話や細部も、当時の曖昧な記憶をできる限り再生しながら、ありのままに記していく。
不自然な箇所があったら申し訳ないが、あれは現実だったとしか言いようがない。
■序章:静けさと期待が入り混じる夏の夕暮れ
去年の夏、夕暮れが濃い茜色に染まり始めた頃だ。
アスファルトの照り返しがやや冷めてきた、そんな時間帯。
仲の良い友人A、B、Cと僕の四人は、都内の小さなアパートの一室に集まっていた。
部屋にはエアコンの涼しさと、どこか湿気を含んだ夏特有の匂いが漂っていた。
窓の外からは蝉の声と、遠くを走る車のエンジン音が微かに混じって聞こえてくる。
「なんか、暇だな……」Aがふと呟く。
彼の声は乾いたような、でもどこか期待に満ちていた。
Bが「ドライブでも行くか?」と唇を湿らせながら言い出し、Cは笑いながら「目的地は?」と尋ねる。
冗談半分で「長野とか?」という僕の一言で、空気が一気に高揚感に包まれた。
深く考えず、ただ夏の夜を消費するために、僕たちは即席の旅に出ることにした。
出発前、部屋を出ると蒸し暑い夜風が頬を撫で、胸の奥がわずかに高鳴る。
車はAの古いセダン。
やや黄ばんだヘッドライトが、夜道を頼りなく照らしている。
男四人、特に目的もなく、ただ車内に漂う若さ特有の興奮と、窓を開けたときに入り込んでくる草いきれの混じる空気の匂い。
それが、これから起こる異変への静かな前奏曲だった。
■山間へと誘う道――歪む現実の始まり
長野と群馬の県境、時刻はすでに日が落ちて藍色の闇が山肌に広がり始めていた。
カーナビの液晶は、紫がかった光を放ち、一本道をまっすぐ進むように指示している。
道の両脇は高い木々が連なり、ヘッドライトが照らす範囲を超えると、すぐに濃い闇が口を開けているようだった。
窓の外では夏の虫の音が断続的に響き、遠くで川のせせらぎがかすかに混じる。
山道特有の湿った土と、草の青臭い匂いが車内に流れ込んでくる。
ふと、運転席のAが眉をひそめて「なあ、なんか道、おかしくないか?」と囁いた。
助手席の僕は、最初は気のせいだろうと笑い飛ばしたが、言われてみれば確かに、道幅が徐々に狭くなっている。
ガードレールは錆びて赤褐色に染まり、何本かは曲がっている。
アスファルトには蜘蛛の巣のようなひび割れが走り、そこから力強く雑草が生えている。
ヘッドライトが照らすその緑は、異様に生々しく、現実感が薄れていく。
カーナビは依然、一本道を示している。
だが、30分ほど走っても、道の状態は変わらず、すれ違う車も皆無だった。
車内の空気が次第に重くなっていく。
Bが窓を閉め、Cが「なんか、嫌な感じがするな」とつぶやく。
僕の胸にも、冷たい針を刺すような不安がじわじわと広がっていった。
■闇に浮かぶドライブイン――非現実の入口
「一旦どこかで停めて、ルートを確認した方がいいかも」Cが提案したその時、前方の闇の中に、ぽつんと人工的な光が浮かんでいるのが見えた。
オレンジ色のネオン、どこか昭和の香りを残した看板――ドライブインのものだろうか。
駐車場には数台の車が無造作に停まっている。
ホッと安堵が胸を満たす。
人の気配があるというだけで、理屈を超えた安心感が生まれるものだ。
車を停めて外に出ると、ひんやりとした夜気が肌にまとわりつく。
駐車場は思いのほか広く、アスファルトのひび割れには雑草が生い茂り、どこか廃墟めいた雰囲気が漂っていた。
遠くで犬の遠吠えのような音が一瞬だけ聞こえ、体の奥に冷たいものが走る。
店内の灯りは淡く、蛍光灯特有のブーンという低い音が耳に残る。
店員の姿はない。
自動販売機が壁際に並び、その隣にはガラス戸越しに休憩所の明かりが漏れている。
AとCは「トイレ行ってくる」と足早に店の奥へ、僕とBは自販機コーナーの隣にある休憩所の方へ向かう。
その時、入り口のガラス戸に違和感を覚えた。
■異形の蛾――現実が軋む予兆
休憩所の入り口、白い蛍光灯の明かりのもと、そこには掌よりもさらに大きな蛾が静かにとまっていた。
その羽は淡い茶色と黒の斑紋、不自然なまでに丸く、中心にはまるで人間の顔のような模様が浮かんでいる。
羽がわずかに震え、微かな粉が空気に舞っているのが見えた。
僕とBは思わず視線を逸らし、中へ入る。
だが、背筋をなぞるような不快な感覚が消えない。
後から思えば、この時点で何かが現実の枠組みから外れていたのだと気付くべきだった。
■休憩所の異様な空気――漂う違和感
休憩所の中は薄暗く、壁紙は黄ばんで剥がれ、床には埃と染みが点在していた。
テーブルと椅子はどれも古び、金属部分は鈍く黒ずんでいる。
部屋の奥には数台のゲーム機が並び、電源は入っていないが、筐体のスクリーンが何かを反射してぼんやりと光っている。
部屋の隅、50代くらいの男が一人、古いテレビの前に座っている。
画面からは昭和のバラエティ番組のようなざらついた音声が流れていたが、男は無表情でじっとテレビを見つめている。
その姿に、言い知れぬ違和感が胸を締めつけた。
Bが「おい、あっちに女の子3人組いるぞ!声かけようぜ!」と声を潜めて言う。
彼の声には下心よりも、異様な空間への逃避のような頼りなさが滲んでいた。
確かに、20歳前後の女性3人がテーブルを囲み、ひそひそと話し込んでいる。
彼女たちの顔は不安に曇り、頻繁に周囲を窺っていた。
■少女たちとの遭遇――重なる不安
こちらに気付いた一人の女性が、ためらいがちに立ち上がり、ゆっくりと僕たちに歩み寄ってきた。
彼女の足取りはややぎこちなく、肩は固く張っている。
Bはわくわくした様子で笑顔を作るが、僕はどこか胸騒ぎを覚えていた。
「ここって関東方面へ抜ける道で合ってますか?それと、このドライブイン……変じゃないですか?」彼女の声はかすかに震えており、目は不安に揺れていた。
僕もまた、休憩所に足を踏み入れてから感じていた異常を素直に打ち明ける。
席を共にし、事情を交換し合うことになった。
Bが「お前、結構やるじゃん」と茶化すが、この場の空気は冗談を許さないほど重苦しかった。
少女たちも少しずつ心を開き始め、互いの置かれた状況について話し合う中、彼女の一人がふと「あそこのテレビの前にいる人なんだけど……」と声を潜めた。
■現実の歪みが顕在化する
改めてテレビ前の男を見ると、彼の存在自体が現実の法則から逸脱していることに気付いた。
テレビとテーブル、その男の体のサイズの比率が明らかにおかしい。
座っているだけで、通常の人間の倍以上はある。
もし立ち上がれば3〜4メートルはあるのではないか――そんな途方もない錯覚に襲われる。
しかし、錯覚とは思えないほど、彼の服も顔も、細部まで現実味を帯びている。
男はただ黙ってテレビを見つめ続けたまま、微動だにしない。
Bも小さな声で「でかすぎるよな……なんだあれ……」と呟く。
その声は乾ききった喉から絞り出されたようで、部屋の空気をさらに重くする。
もう一人の少女が「あの奥のプリクラのところなんだけど……」と指差す。
見ると、プリクラのカーテンの下から、ロングスカートを履いた女性の足が見えている。
彼女たちが言うには、その女性は自分たちが到着したときからずっと、まるで時間が止まったように動かずそこにいるのだという。
「あと、なんか変な音聞こえませんか?人が話してるような……」耳を澄ませば、確かに壁の向こうから、ぼそぼそと大勢の人が話しているような、しかし言葉にならないささやき声が絶え間なく聞こえてくる。
鼓膜の奥にまとわりつくその音が、不気味さをさらに増幅させていた。
■異常の連鎖――自販機の生きた口
そんな時、休憩所と自販機コーナーの間のドアが軋む音を立てて開き、AとCが帰ってきた。
二人の顔には蒼白な緊張が張り付いている。
Cが「お前ら、何ナンパしてんだよ……」と呆れたように言うが、その声には冗談めいた色はなかった。
「それより、こっち来てくれ。
変なのがある」と真顔で促す。
Aも明らかにいつもの軽薄さを失っている。
自販機コーナーに入ると、Aが指差す先はカップのコーヒーなどを売る自販機だった。
だが、液晶画面の部分に、明らかに生身の人間の口が浮かび上がっている。
その口は、唇の質感も舌の動きも異様にリアルで、「いらっしゃいませ」と機械的なイントネーションでしゃべっていた。
Cは「最初、人が入ってるかと思って話しかけたり叩いたりしたけど、反応がない」と顔を引きつらせて言う。
僕の背筋には、冷たい汗がつうっと流れる。
■異界の者との遭遇――上半身のない女
「このドライブインは何かおかしい。
とにかく一度外に出よう」と僕たちは小声で話し合う。
その時、休憩室の方を見ていた少女の一人が、突然「ちょっと、あれ!」と声を上げ、僕の肩を強く揺さぶってきた。
彼女が指差す先――プリクラのカーテンの下から見えていたロングスカートの女性が、突如として外に出て、こちらに向かって歩いてきていた。
だが、その姿は人間のものではなかった。
上半身が存在せず、下半身から上へと、まるで逆さにした漏斗のように収束し、そこから棒とも紐ともつかぬものが真上に伸びている。
その奇怪な形状の「体」は、不自然なほど静かに、ユラユラと揺れながらこちらへ近づいてくる。
僕は息を飲むことさえできず、膝が震えた。
BもCも無言で硬直し、Aは顔を引きつらせて後ずさる。
あれを直視していると、現実感が薄れ、意識が遠のきそうだった。
僕たちは反射的に、全員で外へと駆け出す。
冷たい夜気が肺に刺さり、心臓が耳元で鳴り響く。
振り返ると、その「物体」は僕たちを気にも留めず、トイレの方へと消えていった。
■異界からの追撃――駐車場の恐怖
「とにかくここを出よう」。
カーナビを確認し、先に進めば街中へ抜けられることを再確認。
少女たちにも「スピードは出さないから、ついてきて」と伝える。
ところがその時、駐車場の奥、林の暗闇から、数十人はいるであろう人影が、無音でぞろぞろとこちらに向かって降りてくるのが見えた。
月明かりと街灯に照らされ、どの顔も判別できないほど暗く、ただその存在感だけが圧倒的だった。
さらに、林の奥深くから何かが跳躍し、こちらに向かってものすごい勢いで飛んできた。
ズシンと地面が震える音と共に、それは僕たちの車の隣に停めてあったトラックに激突した。
ライトに照らされたその姿は、常識では考えられない。
1メートル以上もある巨大な蛆虫。
太く膨れた体がトラックのガラスを割り、黄色い体液を撒き散らしながら地面で蠢いている。
その体液からは腐敗した肉と刺激的な薬品が混じったような、吐き気を催す強烈な臭いが立ち上っていた。
しかも、それは一匹だけではなかった。
周囲には少なくとも7~8匹の巨大な蛆が跳ね回り、何匹かはこちらに向かって這い寄ってくる。
背筋に氷のような冷たさが走り、胃の奥が絞られるような感覚に襲われる。
■選択の岐路――パニックと直感
身の危険を悟り、僕たちは少女たちに「早く車に乗れ!」と叫ぶ。
だが、彼女たちは駐車場の反対側、プレハブ小屋の前で立ち止まり、「この中に入って隠れてやり過ごそう」と叫ぶ。
パニックに陥り、冷静さを失っているように見えた。
僕は、直感的にそれが間違いだと感じた。
「いいから車に乗れ!」と怒鳴り、A、B、Cと共に彼女たちの腕を引っ張って無理やり車へ連れ戻す。
すでに人影の集団と蛆の群れは、かなり近くまで迫ってきていた。
全員が車に滑り込むと同時に、Bの運転で少女たちの車も続いてドライブインを脱出した。
車内には、焦げたゴムのような臭いと、誰かの涙や汗が混じった生臭さが充満していた。
僕たちの鼓動は、車のエンジン音と同調するように激しく高鳴っていた。
■逃走と謎の消失――路上の失踪
舗装路に出ると、バックミラー越しに、ジャンプする蛆が少女たちの車の後ろに張り付いているのが見えた。
だが、車のスピードが上がると、それらは徐々に遠ざかり、やがて見えなくなった。
1時間ほど走るうちに、山の合間から街の明かりがちらちらと見え始めた。
ようやく安全圏に入ったと実感したその時、後ろの車に乗っていたCから電話がかかってくる。
少女たちが「トイレに行きたいと言っている」とのこと。
近くにあった公園らしき駐車場に車を停める。
少女たちは「3人で行ってくる」と言い残し、何も言わずにトイレへと消えていった。
待っている間、ふと少女たちの車を覗くと、ドアが開いており、バッグが地面に落ちかかっていた。
何気なく拾い上げると、中身がぶちまけられた。
Bが「これ戻しておかないとヤバくね?」と声をかける。
振り返ると、A、B、Cがトイレから戻ってきた。
Aの話では、トイレには誰もいなかったという。
すれ違った可能性を考えたが、周囲に彼女たちの姿はどこにもない。
僕たちは事態の異常さに気付き、警察に通報することにした。
■現実の断絶――少女たちの正体
15分ほどで警察が到着した。
事情を説明すると、警官は「その女の子たちの車ってどれ?」と尋ねる。
だが、振り返ると、さっきまで確かにあったはずの彼女たちの車が、跡形もなく消えていた。
駐車場には僕たちの車しかない。
警官は訝しげな目で僕たちを見たが、僕は思い出し、少女のバッグを車の屋根の上に置きっぱなしだったことを伝えた。
バッグを見せて、捜索を依頼するが、話は荒唐無稽すぎて信じてもらえなかった。
数日後、警察から呼び出され、バッグの持ち主が10年以上前に失踪していた短大生のものであると告げられた。
写真を見せられた時、血の気が引いた。
ドライブインで会った3人組のうち、間違いなくそのうちの一人だった。
警官の話では、僕たちが通ってきた道に、そのようなドライブインは存在しないという。
現場検証で道を逆に辿ったが、例のドライブインどころか、あの荒れ果てた山道さえ見つからなかった。
■余韻――記憶に残る問いと悪意の影
今になって思えば、彼女たちには数々の不審な点があった。
失踪当時のままの服装と容姿。
僕たちと同じルートでドライブインに着いたはずなのに、道中で一度も前方に車のヘッドライトを見ていない。
あの異様な状況で、見知らぬ男二人に無警戒に話しかけてきたこと。
プレハブ小屋に籠ることを強く勧めてきたこと――もしあのまま従っていたら、僕たちはどうなっていたのだろうか。
今でも、彼女たちの言動には、説明のつかない悪意を感じる。
僕たちはなぜ、あの山道を選び、なぜあの場所に導かれたのか。
その答えは、今も闇の中に沈んだままだ。
夏の夜の空気、あのドライブインの蛍光灯の光、巨大な蛾の羽音、そして少女たちの不安げな瞳と消えた車。
全ての記憶が、今も五感のどこかにこびりついて離れない。
僕の現実と非現実の境界は、あの夜、確かに一度、軋み、歪んだのだ。
不思議な話:真夏の山間ドライブインで遭遇した異界の夜――消えた少女と歪む現実、五感で刻まれる恐怖体験の全記録
真夏の山間ドライブインで遭遇した異界の夜――消えた少女と歪む現実、五感で刻まれる恐怖体験の全記録
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