スカッとする話:薄明の果てに咲く離婚――春霞の中、終わりと始まりの物語

薄明の果てに咲く離婚――春霞の中、終わりと始まりの物語

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朝靄が街を薄絹のように包み込んでいた。
窓の向こう、まだ眠っている町並みを見下ろしながら、私は一杯の冷えたコーヒーを両手で包み込む。
苦味が喉を伝うたび、五年前、春の陽射しの下で始まった結婚生活を思い出す。
あの時、私は確かに幸福を信じていた。

 けれど、その幸福は思いのほか脆かった。
結婚と同時に夫の実家での同居が始まる。
私が夫より高い収入を得ていることは、家中にどこか湿った空気を漂わせた。
「女が働きすぎるのはよくない」と姑は言った。
私は正社員からパートへと、肩書を脱ぎ捨てた。
薄暗い台所で、まな板の上に包丁を打ちつける音が、私の日常を静かに刻んでいく。

 やがて、親戚たちからは孫を催促され、家事はすべて私の肩にのしかかった。
旅行に行く余裕など、夢のまた夢。
外食の彩りさえ、私たちの生活からは消え失せた。
日々の繰り返しは、気づかぬうちに私の心から色彩を奪っていった。

 そんなある日、春の風がぬるく頬を撫でるころ、夫の不貞が発覚した。
相手は幼い頃からの知り合いだという。
あの日の私の心は、何かが音を立てて崩れていくのを、ただ黙って聞いていた。

 「最近、帰りが遅いね」

 問いかけは宙に消え、夫の瞳はどこか遠い場所を見つめていた。
私はやがて、auのメール保存サービスに手を伸ばす。
背徳の指先が、真実を暴き出す。
そこにあったのは、ハートマークが飛び交い、嘘と欲望が複雑に絡み合う、あまりにも露骨な愛の痕跡だった。

 夫の裏切りが発覚したその時、舅が癌に倒れる。
余命半年と宣告され、家の空気はさらに重くなる。
家事、子育て、パート、病院への付き添い――私の肩に積もるものは、雪崩のように増えていった。
それでも夫は「出張」と称し、浮気相手と一週間の旅行に出かけていた。
私はただ、メールの「楽しかったね」「また会いたいね」という言葉を、冷たい指先でスクロールし続けるだけだった。

 メールのやりとりから、ふたりの逢瀬の時刻も、場所も、手に取るように把握できた。
田舎町にはホテルが二軒しかなく、私は自分の足で証拠写真を手に入れた。
写真の中、夫は見知らぬ女と笑っていた。
そこに疑いの余地など、どこにもなかった。

 私は弁護士に連絡し、粛々と離婚の段取りを始めた。
年の瀬の冷たい空気が、私の決意を一層強くした。

 舅の命の灯火が弱まるのを、私は静かに待った。
やがて三月の中旬、夜明け前の病室で舅が危篤となり、私は姑と夫を叩き起こして病院へ送り届けた。
その足で、子どもとともに実家へと逃げる。
冷たい手すりが、現実の重みを私の掌に伝えていた。

 私は用意していた証拠――メール全文のコピーとホテルの出入り写真、弁護士の連絡先、私の心情を書き綴った手紙、そして舅の闘病記録を封筒に詰めて、親戚一同と夫、浮気相手の家、そしてその実家へと送り届けた。
真夜中、封を閉じる指先がかすかに震えていた。

 私がただ一つ求めたのは、私の実家が夫の家に貸した借金を一括で返済すること。
それが叶わなければ、裁判に持ち込むつもりだった。
土地も家も借金の重荷に沈み、姑は無年金、夫はリストラで年収は二百万円にも満たない。
払えるはずのない無理難題を、あえて突きつける自分に、知らず笑みがこぼれていた。

 短期間で、私は集中的に彼らを追い詰めた。
何かが自分の中で、ようやくほどけていくのを感じた。
やがて私は、分割払いを認めてやることにした。

 離婚成立の日は、春の光が窓辺で踊っていた。
私の心の中に、長い冬が終わったことを告げる微かな風が吹いた。

 「これで、ようやく終わったのね」

 そうつぶやいた私の声は、誰にも聞かれなかった。

 最も鮮烈に記憶に残るのは、夫、姑、浮気相手、私の両親が揃った話し合いの場だった。
謝罪とも責任転嫁ともつかぬ言葉が飛び交うなか、私は夫と浮気相手のラブラブメールから次々と引用して返答した。
沈黙が落ち、弁護士が堪えきれずに吹き出す。
私の側の空気は、どこか和やかで、奇妙な高揚感に満ちていた。
対照的に、夫たちの顔色はみるみる青ざめていく。

 数ヶ月のうちに、夫は髪を失い、浮気相手は激しく太り、姑は情緒不安定になった。
私はその変化を遠くから静かに眺めていた。
最後に顔を合わせたとき、私は微笑みながら言った。

 「これで、運命の人と新しい人生を歩めるね。
金銭的な苦しみなんて、忍び恋の切なさに比べたら平気でしょう?おめでとう」

 弁護士がまた大きく笑った。
私はただ、春の花の香りが風に溶けていくのを感じながら、静かにその場を離れた。

 朝靄の向こう、東の空が白み始めていた。
物語は終わった。
けれど、その先に広がる未来を、私はまだ知らない。
ただ一つ、確かなのは、私の歩みがもう誰にも縛られないということだった。
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