姑の顔が、まるでゆでダコのように真っ赤になっていた。
親戚たちは爆笑し、私は「まずかったかな」と一瞬だけ心配したが、場の空気はむしろ和んでいた。
なぜそんなことになったのか。
実はその直前、私は姑に素朴な疑問をぶつけていたのだ。
「義母さんは、やったらやったで《あなたのお母さんはそんな風に教えるの?》って驚くし、やり方を聞けば《あなたのお母さん、何にも教えてない》って言うんですけど、どうしたらいいんですか?」
それは、おむすび作りの最中、姑から思わぬ言葉を投げかけられたことがきっかけだった。
話を少し巻き戻そう。
おむすび用のおひつにまんべんなく塩をふりかける親戚のやり方を見て、私は思わず「こういう方法もあるんだな」とつぶやいた。
すると、同居している姑はニヤリとして「あなたのお母さん、そんなことも教えないの?」と笑ってきたのだ。
すべての始まりは、法事ではないが夫の親戚が集まった日のこと。
台所で一緒におむすびを握るという、ただそれだけの平和な時間のはずだった。
しかし、あの日の出来事は私にとってひとつの発見でもあった。
姑の反応も、親戚たちの大笑いも、きっと「お母さん」という存在をめぐる小さなすれ違いが生んだものなのだろう。
素直な気持ちを口にしたからこそ生まれた、意外な和やかさ――それが、あの「ゆでダコ色」の理由だったのかもしれない。
スカッとする話:ゆでダコ色の姑、その瞬間の理由とは――逆転おむすび事件
ゆでダコ色の姑、その瞬間の理由とは――逆転おむすび事件
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