スカッとする話:塩の記憶とゆでダコの午後――ある台所での静かな攻防

塩の記憶とゆでダコの午後――ある台所での静かな攻防

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薄曇りの午後、台所の窓からは初夏の淡い光が、淡雪のように流れ込んでいた。
小さなラジオがかすかに演歌を流し、誰かの笑い声が遠く廊下を滑っていく。
私は義母と、夫の親戚たちとともに、白いごはんをおひつから取り分け、静かにおむすびを握っていた。

 指先に感じる米粒はまだ熱を帯びており、手のひらにしっとりとまとわりつく。
義母は手慣れた様子で、おひつ全体にまんべんなく塩を振りかけると、そのままごはんをすくい、手早く丸めていく。
塩が均一に行き渡ったごはんは、どこか眩しく、台所の空気にほのかな潮の香りを立ち上らせていた。

 ――ああ、こういう方法もあるんだな。

 無意識に漏れた私の呟きは、湯気とともに宙に滲んで消えた。
しかしその言葉は、義母の耳にきちんと届いていたようだった。
彼女はふいに顔を上げ、私の方を振り返った。
その瞳には、微かな優越と、どこか決まりきった苛立ちのようなものが浮かんでいる。

 「あなたのお母さん、そんなことも教えなかったの?」

 笑い混じりの声に、親戚たちの手が一瞬止まる。
私は手のひらの温度を確かめながら、静かに息を吸った。
この台所の空気――潮と米と、代々の女たちの気配が染みついた空気のなかで、私はいつもどこか居心地の悪さを感じてしまう。

 けれど、その時はなぜか、心の奥にあった小さな棘が胸を突き上げた。

 「義母さんは、私がやり方を変えれば『あなたのお母さんは、そんな風に教えるの?』って驚くし、聞けば『あなたのお母さん、何にも教えてない』って言うんですよね。
……私はどうしたらいいんでしょうか?」

 自分でも驚くほど、声は静かで、どこか遠く響いていた。
台所の空気が、ピンと張りつめる。
義母の顔がみるみる赤くなってゆき、それはまるで茹で上がったタコのようだった。
私はその変化を、どこか他人事のように眺めていた。

 ――言い過ぎたのだろうか。
素直に疑問を口にしただけのつもりだったのに。

 だが、次の瞬間、親戚たちの間にざわめきが走り、やがてそれは大きな笑い声となって弾けた。
彼女たちの笑いは、潮風のように台所を吹き抜け、窓の外の木々をも揺らしていくかのようだった。

 私は小さく息を吐き、手のひらに残る米粒の感触を確かめた。
その温もりは、いつか私が母と握ったおむすびの記憶と、どこかで静かに重なり合っているような気がした。

 台所の午後は、何事もなかったかのように、また淡く流れ始めていた。
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