スカッとする話:ミントの庭に降る影――あるガーデナーの孤独な闘い

ミントの庭に降る影――あるガーデナーの孤独な闘い

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朝靄が薄絹のように庭先を撫でていく。
私はコーヒーカップを両手で包み込み、窓越しに自分の小さな楽園を眺めていた。
雨上がりの土の匂いが、静かに部屋の中まで流れ込んでくる。
四季折々の花や緑が、控えめながらもそれぞれの色彩を誇っていた。

 けれど、その調和はある日、音もなく崩れ始めた。

 最初は一鉢だった。
春の風に揺れるビオラが忽然と消え、土だけが虚しく残された。
私は首を傾げながらも、自分の不注意だろうと曖昧に納得しようとした。
だが、その翌週には、今度は鉢ごと姿を消していた。
次第に、私の庭は見えない手によって少しずつ削ぎ取られていった。

 「草花くらいで……」
 交番での警察官の言葉が、耳の奥で何度も反響した。
私の訴えは軽くあしらわれ、まるで風に散る花びらのように消えていく。

 悔しさが、胸の奥でじくじくと疼いた。
ただ守りたいだけなのに、それすらも叶わない現実が、私を冷たい手で縛りつける。
夜、ベッドに横たわると、闇の中で誰かが花を引き抜いていく幻が、繰り返し瞼の裏に浮かんできた。

 少しだけ、悪戯心を働かせてみた。
100円ショップで手に入れた素朴な鉢を、ペンで賑やかに飾りつけ、ミントの苗を植え込む。
札を添えた――「草花を勝手に持って行かないで!」泣き顔の花のイラストが、私自身の心を映していた。

 けれど、朝日が差し込む頃、私は冷ややかな現実にまた直面する。
泥まみれの札が、無惨に踏み潰されていた。
その傍ら、鉢もまた消えていた。

 諦めと空虚が、私の胸に重く沈殿する。
何かが音もなく崩れていく感触。

 *

 夏の陽射しが、街を白く照らしていた。

 ある午後、近所のガーデニング好きな母親が、庭の隅にうずくまっているのを見かけた。
フェンス越しに声をかけると、彼女は振り向き、どこか困惑したような微笑みを浮かべる。

 「ミントが、急に増えちゃって……。
でも、他の花も混ざってるから、除草剤も使えなくて」

 彼女の手は泥にまみれ、爪の間には緑の香りが染み込んでいた。
庭には、ミントの葉が青々と繁茂し、他の花たちを呑み込む勢いで広がっていた。
抜き取られたミントの山、その傍らには、見覚えのある鉢の破片が転がっていた。
かつて私が飾った、あの小さな鉢の名残だった。

 私は何も言えなかった。
ただ、胸の奥で苦いものがじわりと広がっていくのを感じていた。

 春に抱いた悔しさも、夏の日差しの下で形を変えていく。
人の心は、思いがけず隣り合い、そしてすれ違う。
ミントの香りが風に乗って、遠くへ、遠くへと運ばれていく。

 私は静かにその場を離れた。
土の匂いが、夕暮れとともにまた新しい記憶となって、私の心に降り積もっていった。
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