切ない話:枯れ枝の手のぬくもり――血の繋がりを越えた父と子の歳月と涙の記憶

枯れ枝の手のぬくもり――血の繋がりを越えた父と子の歳月と涙の記憶

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両親の離婚は、私が物心つき始めた6歳の春、まだ桜の花びらが舞い散る季節だった。
母が24歳、父が26歳。
若くして、母のお腹に私が宿ったことは、決して祝福されたものではなかったと、大人になって知ることになる。
当時の私は、両親の間に流れる張り詰めた空気や、夜ごとに小さなため息をつく母の横顔の奥に、そんな真実が潜んでいることなど知る由もなかった。
狭い団地の一室。
壁紙の剥がれかけた部屋に満ちる、古い畳の匂いと、時折すれ違う大人たちの視線。
幼いながらも、私は世界の片隅に追いやられている感覚を、どこかで察していたのかもしれない。


ある日突然、両親がそれぞれ新しいパートナーを連れてきた。
母の瞳には、以前よりもどこか冷えた光が宿り、父の声も、遠くから聞こえるような空虚な響きになっていた。
二人は私の前で互いに親権を押し付け合い、その言葉の鋭さは、まるで割れたガラスの破片のように幼い心を傷つけた。
私の手は、誰のものにも強く握り返されることはなかった。
ぴりぴりとした緊張が部屋を満たし、私は無意識に息を潜めていた。


そんな重苦しい沈黙を破るように、突然ひときわ大きな声が響いた。
母の弟、つまり私にとっての伯父――後に「ごうちゃん」と呼ぶことになるその人だ。
伯父の声は、荒くも温かく、冬の朝に差す日差しのように私の心を照らした。


「俺がこの子に愛を教える。
貴様らは最低だ。
どこへでも行ってしまえ、二度とこの子の前に現れるな」

その瞬間、部屋の空気が一変した。
凍りついたような静寂の中で、伯父の声だけが鮮烈に響き、私は思わずその姿を見上げた。
ごうちゃんは、がっしりした体格に、土埃のにおいを纏い、どこか不器用そうな大きな手をしていた。
23歳。
土木作業員として毎日汗まみれで働く彼の手には、細かな傷跡が無数に刻まれていた。
あの日の午後、私は大人たちの事情など一切理解できないまま、両親の姿が消え、代わりに目の前に現れた大きな伯父の存在にただ圧倒されていた。


しかし、子どもの直感は鋭い。
私は薄々、いつか両親に捨てられるのだと感じていた。
夜、眠る前に聞く両親のいさかい。
自分に向けられない視線。
居場所のない空気。
だからこそ、ごうちゃんの「俺が守る」という宣言は、まだ幼かった私の心に、なにか温かいものを灯したのだった。


ごうちゃんは私に「伯父さん」とは呼ばせなかった。
「俺のことはごうちゃんって呼べよ」と、照れくさそうに笑いながら言った。
血の繋がりの枠組みを越えて、彼は私にとって新しい家族になろうとしてくれていたのだろう。
彼の部屋は、古びたアパートの二階の角部屋。
壁には色褪せたカレンダーと、土木現場の写真が無造作に貼られていた。
窓から差し込む夕日が、埃の舞う空気をオレンジ色に染めていたのを、今でも鮮明に覚えている。


ごうちゃんとの生活が始まった。
毎朝、彼はいつも私より早く起きて、キッチンで慣れない手つきで朝食を作ってくれた。
焼け焦げたトーストの匂いと、インスタントコーヒーの湯気が部屋に満ちる。
まだ寝ぼけ眼の私の頭を、いつも大きな手でくしゃくしゃと撫でて、「おい、朝だぞ」と優しく声をかけてくれた。
その声には、どこか照れくささと、不器用な愛情が滲んでいた。


幼稚園へは、黄色い軽トラックに乗せられて通った。
軽トラの荷台には、いつも作業用具と泥のついた長靴が積まれていた。
車内には、土と汗の混ざり合った独特の匂いが充満していたけれど、それもまた、安心できる家族の匂いだった。
帰り道、道端の八百屋で夕飯の材料を選びながら、彼は私に「今日は何が食べたい?」と尋ねてくれた。
料理は決して上手くなかった。
時には焦がした卵焼きや、妙に塩辛い味噌汁が食卓に並んだ。
でも、それを二人で笑い合いながら食べる時間は、何よりも幸せだった。
噛みしめると、少しパサついたご飯の味が、なぜか涙が出るほど温かく感じられた。


休日になると、ごうちゃんは近所の公園に私を連れて行き、キャッチボールやサッカーをして一日中遊んでくれた。
グラウンドの土の乾いた匂い、ボールの弾む音、汗が流れる額を拭う手の感触。
ごうちゃんは本気で遊ぶので、時には子ども相手に手加減をしないこともあった。
私が転んで膝を擦りむくと、「痛いか?」とぶっきらぼうに言いながらも、そっと消毒液を吹きかけてくれた。
その消毒液の冷たさと、ごうちゃんの大きな手の温かさが、今でも忘れられない。


悪いことをすれば、本気で叱られた。
時には拳骨が飛んできて、その痛みと共に、愛情の重みも伝わってきた。
逆に、良いことをすると、私の頭をガシガシと乱暴に撫で、「よくやったな」と笑ってくれた。
その笑顔には、どこか自分も救われたいという願いが滲んでいたのかもしれない。
私は次第に、ごうちゃんといると、なぜ自分がこの環境にいるのかを忘れてしまうほど、毎日が楽しく、心が満たされていった。


小学校に上がると、授業参観の時には、普段とは違う、少し大きめの借り物のスーツを着て現れてくれた。
慣れないネクタイに悪戦苦闘し、額にうっすら汗を浮かべながらも、私の発表を誰よりも誇らしげに見つめていてくれた。
その姿を見て、私は自分もこの人に認められたいと心から思った。
運動会や遠足の前夜には、夜遅くまで台所でお弁当を作るごうちゃんの背中を、こっそり覗きに行ったこともある。
彼の手からは、料理の不器用さ以上に、私への不器用な愛情が伝わってきた。


中学、高校と成長する中で、私はごうちゃんに反抗することもあった。
進路や友人関係で意見がぶつかり、夜遅くまで口論することも。
しかし、ごうちゃんは決して私を見捨てなかった。
高校で始めたラグビーの試合には、必ず応援に来てくれた。
試合前、緊張でこわばる私の背中を、分厚い手でマッサージしてくれた。
温もりが背中からじんわり伝わり、私はいつもその手の力強さに励まされていた。


高校卒業の頃、私は家庭の事情を考え、すぐに働こうと思っていた。
しかし、ごうちゃんは「やりたいことがあるんだろう、糞ガキが家のことなんか心配すんな、俺はまだ若い」と、いつものぶっきらぼうな口調で、私を専門学校へ送り出してくれた。
その時のごうちゃんの目には、ほんのり赤みが差し、普段見せない優しさがにじんでいた。
私は彼の期待と愛情に応えようと、必死で勉強し、就職先が決まった時、ごうちゃんは鼻水を垂らしながら、子どものように泣いてくれた。
その涙は、私だけでなくごうちゃん自身の人生をも救う涙だったのかもしれない。


初めての給料で、私はごうちゃんにスーツを仕立てて贈った。
その日、ごうちゃんはまるで子どもに戻ったように喜び、鏡の前で何度もスーツ姿を見せびらかした。
「どうだ、似合うか?」と何度も聞き、私は笑いながら「ばっちりだよ」と答えた。
そうして私たちは、一緒に人生の階段を少しずつ登っていった。


ごうちゃんは、私の結婚式にも駆けつけてくれた。
式場の白い光の中、彼はいつもの作業着ではなく、あのスーツに身を包んで、少し照れたような顔で私の隣に立ってくれた。
その時のごうちゃんの手は、いつもより少しだけ震えていたのを覚えている。


だが、神様など本当にいないのだと思い知らされた。
ごうちゃんはある日、仕事中に倒れた。
その報せを聞いた時、私の心臓は氷のように冷たくなった。
病院の無機質な白い天井、消毒液の刺すような匂い。
ごうちゃんの顔は痩せこけ、枯れ枝のように細くなった手がシーツの上に投げ出されていた。
手術から一ヶ月、私は毎日病室に通い、彼の手を握りしめた。
彼の呼吸は次第に浅くなり、時折、意識を取り戻しては私に微笑んでくれた。


忘れられない瞬間がある。
ごうちゃんが意識を失ったその時、私は思わず「父さん!」と叫んでいた。
自分でも驚くほど自然にその言葉が口からこぼれ、胸が締め付けられるように痛んだ。
涙が、止まらなかった。
ごうちゃんは微かに目を開け、最後の力を振り絞るようにして私の頭を撫でてくれた。
その手は枯れ枝のように細く、しかし信じられないほど温かかった。
静かに目を閉じたごうちゃんの顔に、私はこれまで感じたことのない喪失を覚えた。


ごうちゃん、あの病室で紹介した女の子と結婚して、子どもが生まれたよ。
男の子だよ。
君からもらった一字を、彼の名前に刻んだんだ。
本当なら、君に抱っこしてほしかった。
初めて彼を腕に抱いた時、ごうちゃんの大きな手のぬくもりが、ふと蘇った。
あの日の光景、音、匂い、全てが記憶の底から立ち上がってくる。


それから今日の命日まで、何年も時は流れた。
それでも、ごうちゃんを思い出すたび、涙が止まらない。
実の両親の顔はもう思い出せないけれど、血の繋がりなど関係なく、あなたは私にとって父親であり、時に母親でもあった。
もしも生まれ変わることができるなら、今度こそ、本当のあなたの子どもとして生まれたい。
そして、何度でもあの大きな手で、頭を撫でてもらいたい。


今、無性に会いたいです。
あなたの声、手の温もり、笑顔――私の中で永遠に生き続けています。
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