喪失体験と対人ダイナミクスにみる深層心理：防衛機制とトラウマの交錯

本稿では、流産という重大な喪失体験を夫婦がどのように受け止め、周囲の他者との関わりの中でどのような心理的プロセスが生じていたのかを、深層心理学的観点から分析する。

まず、表層的な行動として、語り手と妻は流産（稽留流産）による喪失を受けた直後、病室で安静を余儀なくされていた。
彼らは出産を終えたばかりの隣室の夫婦と同室に置かれ、周囲の喜びと自らの深い悲しみが強く対比される状況に直面する。
この状況は「認知的不協和」の典型例であり、望んだ結果（出産）と現実（流産）の間に生じる矛盾が強い心理的ストレスをもたらしている。

隣の夫が「うちの子よりも横にいた赤ちゃんの方が可愛かった」と繰り返し発言した場面では、当事者夫婦はこれを賞賛として受け取る余裕がなく、むしろ自らの喪失感が刺激され「黙ってくれ」と内心で叫ぶ。
この反応は「投影」という防衛機制で説明できる。
すなわち、自分たちの痛みや怒り、不条理感を外部の他者の無神経さに転嫁し、感情の処理を図っている。
加えて、彼らが「この世の終わりのような顔」をしていたという記述には、「抑うつ反応」や「一時的な解離」も示唆される。
これは、トラウマティックな出来事に対する心理的防衛反応の一つであり、現実の辛さから一時的に心を切り離す作用が働いている。

また、「人工中絶手術」という言葉への違和感は、「認知的ラベリング」が現実の感情と一致しないことによる「認知的不協和」の現れである。
医学的合理性と個人的な感情の間で葛藤しつつも、手続きを受け入れる姿勢には「合理化」という防衛機制も働いている。

病院を去る際、隣の夫から「産後なのに帰るのか」と問われた場面では、語り手は冷静に状況を説明し、相手夫婦に配慮の言葉をかけている。
ここには「昇華」や「成熟した防衛機制」が見られる。
自らの痛みを直接的な攻撃や非難に転化せず、社会的に受容可能な形で表現することで、感情のコントロールを図っていると言える。

一方、隣の夫婦の無邪気な会話は、彼ら自身の「正常性バイアス」や「確証バイアス」を反映している。
すなわち、「出産＝喜び」というスキーマの中で自分たちの現実しか見えておらず、他者の痛みへの想像力が働きにくい状態であったと考えられる。
しかし、語り手が退院の理由を明かした瞬間、彼らの現実が覆され「認知的不協和」が生じた可能性が高い。
このことから、語り手は「自分たちの修羅場はむしろ彼らが現実を知った後かもしれない」と内省している。

このエピソード全体を通じ、夫婦は「愛着の喪失」と「トラウマ的ストレス」の両方を経験している。
流産体験は自己概念や家族アイデンティティに深い影響を与えるが、最終的に健康な子どもを得たことで「補償行動」や「意味づけ直し（リフレーミング）」がなされ、過去の喪失が人生の一部として統合されている。

総じて、本事例は喪失と対人関係の中で生じる複雑な心理メカニズム――防衛機制、認知的不協和、他者との境界線意識、トラウマ反応など――を示しつつ、夫婦が痛みを受け入れ乗り越える過程に「心理的成長」の萌芽が見られることを示唆している。