不思議な話:図書館の静寂に忍び込むメモ──不可視の視線と静けさの中の恐怖、揺れる心の三ヶ月

図書館の静寂に忍び込むメモ──不可視の視線と静けさの中の恐怖、揺れる心の三ヶ月

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高校三年の春を迎えた頃、私は毎週のように放課後の図書館に通っていた。
学校の裏手にあるその図書館は、古い赤煉瓦の壁が夕陽に照らされてほんのり朱色に染まり、季節ごとに変わる木々の匂いが空気に溶け込んでいる。
分厚いガラス窓は午後の光を柔らかくぼかし、長い書架の影が床に流れていた。
微かに埃っぽい紙の匂いと、時折ページをめくる音だけが静寂を裂いていた。

その日も私は、薄暗い閲覧席の片隅で本を手に取り、指先で表紙のざらついた布地をなぞった。
カウンターで貸出手続きを済ませると、無意識に本の重みを感じながら、ゆっくりと家路についた。
帰宅後、何気なくページを開いた瞬間、白い紙片が一枚、ふわりと膝の上に落ちた。
紙は新しくも古くもなく、淡い青色の罫線が走っている。
その真ん中に、丸い文字で「こんにちわ」とだけ書かれていた。

最初は誰かの落とし物かと思い、特に気に留めなかった。
だが、なぜかその文字がどこか子供めいていて、妙に私の心に引っかかった。
手のひらで紙の薄さを感じながら、私はそれをしおり代わりに本の間に挟んだ。

次の週、再び図書館を訪れた。
薄暗いランプの下、私はまた違う本を借りた。
借りたばかりの本のページを開くと、今度は「こんにちわ。
このまえのよんでくれましたか」と、前と同じ紙質、同じ丸い文字のメモが挟まれていた。
思わず背筋がぞくりとした。
図書館の静けさが、一瞬にして重苦しいものに変わる。
いつから誰かに見られていたのか。
無防備に本を選ぶ自分の姿を、どこかから見ていたのか。

それからというもの、一週間に一度のペースで、借りる本のどれかの間に必ずメモが挟まれているようになった。
小さな紙片には、決まって「こんにちわ」から始まる短い言葉と、私しか知り得ないような出来事が書かれていた。
「こんにちわ、こぶんのじかんねちゃだめだよ」といった具合に。
私は国語の古文の授業で、つい舟を漕いでしまったばかりだった。
周囲の誰にも話していないはずのことが、どうしてこの紙の上に綴られているのか。
心臓が小さく跳ね、手のひらがじっとり汗ばむ。
胸の奥から、じわじわと恐怖が湧き上がってきた。

念のため、本を借りる前に何度もページをめくってみた。
それでも、家に帰ってから本を開くと、まるで魔法のようにメモが挟まれている。
図書館の貸出記録を調べてみても、私の前に本を借りた人は毎回違っているようだったし、友人や知り合いに聞いても、他の人が同じようなメモを受け取ったという話は一切なかった。
まるで私だけが選ばれているかのような、得体の知れない孤独と不安が、日ごとに心を締め付けていった。

しかも、書かれている内容は、時には学校の外での私の行動にまで及んでいた。
バス停でうたた寝していたとか、帰り道で見上げた夕焼けのことなど、誰にも話していない私だけの小さな日常が、メモには静かに記されていた。
図書館の窓越しに見下ろす夕暮れの校庭、遠くで響く子どもたちの笑い声。
それさえも、どこか遠い世界の出来事のように感じられ、私は自分の行動すべてが見えない誰かに監視されているような息苦しさに襲われた。

三ヶ月が過ぎた頃、私はとうとう限界に達した。
夜、ベッドの上で、薄暗い天井を見上げながら心臓が静かに高鳴るのを感じていた。
胸の奥に重たい石が沈んでいるような感覚。
自分の鼓動が耳の奥で反響し、呼吸が浅くなる。
翌朝、私は勇気を振り絞って、親友にこれまでの出来事を打ち明けた。
彼女の顔には一瞬、驚きと戸惑いの色が浮かび、やがて少し冗談めかした声で「返事を書いてみたら?」と提案してきた。
けれど、その言葉の奥には、私の不安を少しでも和らげようとする優しさがにじんでいた。

私は小さなメモ用紙に、ゆっくりと震える手で返事を書いた。
「こんにちわ。
いつもありがとう。
でも、もうすぐ卒業だから手紙読めないんだ。
ごめんね。
さようなら。
」書き終えた瞬間、指先がじっとりと冷たくなる。
封もせず、そのまま本の間に挟んで、図書館のカウンターで静かに本を返却した。
カウンターの奥で司書が本を受け取るとき、私は無意識にその手元を凝視していた。
何も変わらぬ静かな仕草、沈黙の中で本の重みがわずかに机を鳴らす音。
その何気ない動作さえも、この奇妙なやりとりの一部のように思えた。

数日後、再び図書館で本を借りた。
心臓は早鐘のように鳴り、手のひらには冷たい汗が浮かんでいた。
本のページを開くと、また一枚のメモが挟まれていた。
そこには、ただ一言、「わかった。
ばいばい。
」とだけ、あの丸い文字で書かれていた。
紙の手触りはこれまでと同じで、しかしその言葉には不思議な温度があった。
安心と寂しさ、そしてほんの少しの安堵が、胸の奥に同時に広がっていく。

その日以降、どれだけ本を借りても、もうメモが挟まれることはなかった。
季節は静かに巡り、図書館の窓から差し込む光も、どこか柔らかくなったように感じられた。
私は時折、あのメモの文字を思い出す。
静かな図書館の片隅、埃の匂いと紙の手触り、夕暮れの光とともに、今も遠い記憶の中でひっそりと揺れている。
読了
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