仕事・学校の話:朝焼け色のビキニと、揺れる風船の一週間

朝焼け色のビキニと、揺れる風船の一週間

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アメリカの冬の朝は、思いのほか柔らかい。
東の空はまだ眠そうな灰色に沈み、ビルの谷間を薄靄が漂っていた。
私はいつものようにコートの襟を立ててオフィスの自動ドアをくぐる。
誕生日の朝であることを、誰かに告げるつもりもなく。
コーヒーの苦い香りが廊下に滲み、パソコンのファンの微かな唸りが静けさを満たしている。

 それなのに。

 自分のデスクの前に立った瞬間、私はほんの一瞬、時空が歪んだのかと錯覚した。

 天井から吊るされた巨大なポスター。
ビキニ姿の女性の、しかし顔だけが私そのもの——ネットで拾ったのであろう合成写真の滑稽さが、朝の静謐を一撃で打ち砕く。
厚紙に貼り付けられたそれは、空調の風に乗ってゆらゆらと揺れ、まるで私自身の分身が、天井の下でゆっくりと舞っているかのようだった。

 椅子には深い黒のベルベット、その縁を縫うように鮮やかなピンクが螺旋を描いている。
指先でそっとなぞると、手触りは驚くほど滑らかで冷たい。
机の上には色とりどりのスパンコールが、まるで春の夜にこぼれた星屑のように散らばっていた。

 そのど真ん中に鎮座するパソコン。
ピンク色のボアが画面の周囲を取り囲み、糸でつながれたヘリウム風船が、ふわふわとその上空に浮かんでいる。
風船同士が触れ合うたび、かすかな音が生まれ、私は思わず息を呑んだ。

 「おめでとう!」
 背後から一斉に湧き上がる声。

 同僚たちが、まるで劇場のカーテンコールのように、拍手と笑顔で私を迎えてくれた。
不意打ちだった。
心の奥に、子どもの頃のような驚きと少しの恥ずかしさが、波紋のように広がっていく。

 バースディカードが手渡される。
表紙にはカラフルなイラストと、英語で書かれた「Happy Birthday!」の文字。
中には、同僚たちの手書きのメッセージが、寄せ書きのように詰め込まれていた。

 一人ひとりの言葉が、なぜか胸に静かに染みていく。
「今年も素敵な一年を」「あなたの笑顔にいつも救われてる」「楽しい思い出をたくさん作ろう」——ページをめくるごとに、普段は見えない優しさが、厚みを増して迫ってくる。

 カップケーキの小さな山が机の端に現れる。
アイシングの甘い香りと、焼き立ての温もり。
みんなで手作りしてくれたという。

 「これ、君のために特製だよ」
 親しい同僚が、蘭の鉢植えを差し出した。
白い花弁が朝の光を受けて、静かに揺れている。
私は何を言えばいいのかわからず、ただ「ありがとう」と繰り返すしかなかった。

 誰かが口火を切り、バースディソングが始まる。
英語の歌声が、オフィスの壁に反響して、私の心の奥まで温めてくれる。
歌い終わると、ひととき静寂が訪れ、私はふと目を伏せた。

 ——こんな誕生日の朝が、この国では珍しくないのだという。
それでも、私は不思議な幸福感に包まれていた。

 自分の顔が貼り付けられたビキニ姿のポスターさえ、愛おしい悪戯に思える。

 あの日から一週間。
私はその奇妙な装飾をそのままにして過ごした。

 誰かが通り過ぎるたび、揺れるポスターと風船は、私の心の奥で小さな鐘を鳴らす。

 日々の繰り返しの中で、ほんの少しだけ、世界が優しく見えた。
読了
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