夜の帳が静かに家々を包み込む頃、リビングの天井には淡い光がまだらに落ちていた。
雨上がりの窓の外からは、湿った土の匂いが微かに漂い、静謐な空気が部屋の隅々にまで染みわたっている。
ソファの上、父と子が背中を並べて座っていた。
テレビは消え、唯一聞こえるのは時計の秒針が刻む規則正しい音だけだった。
少年はふと、右手の甲にできた小さなほくろを見つめる。
幼い指先でそれをなぞりながら、ぽつりと呟いた。
「ねぇ、お父さん。
人間にはどうしてホクロってあるの?」
父はしばし黙り込む。
額の生え際に浮かぶ大きなほくろのことを、どこか気にしているような素振りを見せながらも、やがてふっと息を吐き、どこか遠いものを見るような目で天井を見上げた。
「いい質問だな」
その声には、まるで宇宙の静けさが宿っていた。
「この宇宙はな、神様のほくろの一つに過ぎないんだ。
つまり……神様の体には、数えきれないほどの宇宙があるんだよ」
少年は小さな口を開けて驚いたふりをする。
けれど、その瞳には純粋な好奇心がきらりと光っていた。
「じゃあ、僕たち神様のほくろの中に住んでるの?」
「ああ、そうさ。
そして……」父は自分の腕をそっと撫でた。
「僕たちのほくろも、それぞれが小さな宇宙なんだ」
その瞬間、少年は自分の身体がひどく広大なもののように思われた。
肌の上に散らばるいくつもの点。
その一つ一つの中に、無限の星々や命が息づいている——そんな想像が、胸をくすぐった。
「ええっ!?これ全部、宇宙なの!?」
父は微笑んだ。
どこか寂しげで、どこか誇らしげな笑みだった。
「そうさ。
知らないうちに、ほくろが増えることがあるだろう?」
「うん、あるある」
「あれはな、いわばビッグバンなんだよ。
僕たちの知らない間にも、新しい宇宙や命が生まれている。
すごいと思わないか?」
少年はしばし考え込む。
小さな眉間に皺を寄せ、指先で自分の額に触れる。
そこには、昔より少し大きくなった黒い点があった。
「ふーん……。
じゃあさ、おでこの大きなほくろを“かっこ悪い”って理由で取ったお父さんは……最低の人間なんだね」
父の顔がわずかにこわばる。
沈黙が部屋に降り立つ。
秒針の音だけが、やけに大きく響いた。
「……」
少年は、父の顔をまっすぐに見つめ直す。
「最低の人間なんだね」
父は何も答えなかった。
まるで自分の中の宇宙が、静かに崩れていく音を聞いているようだった。
「……無職かつ、最低の人間なんだね」
その言葉には、幼い残酷さが潜んでいた。
父は口を開きかけて、また閉じる。
「無職は関係ないんじゃないか?」
少年はふいにソファから立ち上がり、軽やかに寝室の方へ歩いていく。
父の返事を待たず、背中越しにひとことだけ。
「寝るね。
おやすみ」
扉が静かに閉じられる。
父はまだ、その場に取り残されていた。
腕のほくろを見つめ、ゆっくりと指でなぞる。
あの闇の彼方にも宇宙はあるのだろうか——そんな思いが、夜の闇とともに胸に沈んでいった。
「なぁ……無職は関係ないんじゃないか?」
答える者のいないリビングで、父の声だけが宙に漂った。
雨上がりの夜の匂いが、静かにその声を包み込む。
笑える話:神のほくろと、父の無職——夜の静寂に浮かぶ小宇宙
神のほくろと、父の無職——夜の静寂に浮かぶ小宇宙
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