その日の午後、外はうっすらと曇りがかった白い光に包まれていた。
オフィスの窓際に置かれた観葉植物の葉が、わずかな風にかすかに揺れている。
空調の低い唸りと、パソコンのタイピング音、時折遠くで鳴る内線のベルが、静けさの中にリズムを刻んでいた。
私の背後で、内線電話が甲高い音を立てて鳴った。
その音は、午後のけだるい空気を一瞬にして引き締めるようだった。
電話を取ったのは、同僚の佐藤さん——社内では「クールビューティー」として知られる人物だ。
彼女は無駄な動き一つなく、まるで空気の層を滑るように受話器を取り上げる。
その手の指先は細く白く、爪は艶やかに磨かれている。
受話器の向こうから聞こえてくる取引先の声は、壁を隔ててなお耳に届きそうなほど張りがあり、しかしどこか緊張を孕んでいた。
佐藤さんの声は、いつも通り落ち着いた低音で、静かに空間を満たす。
「はい、佐藤でございます。
——はい、かしこまりました。
伝言をお預かりいたします。
お名前を、念のため、漢字でお伺いしてもよろしいでしょうか?」
その瞬間、時がゆっくりと流れた気がした。
オフィスの空気がほんの少しだけ重く、湿り気を帯びた。
彼女の声は大理石のように滑らかで冷たく、思わず身を正したくなる。
ところが、受話器の向こうから返ってきた声は、明らかに戸惑いを帯びていた。
「え?あ、はぁ。
えっと、小太りでぇ、眼鏡かけていて……」
一拍の間。
佐藤さんの顔には、何の感情も浮かばない。
まるで無風の湖面のように静かだ。
だが、私の心臓は鼓動を速めた。
なぜなら、今の会話の齟齬を、私は瞬時に悟ったからだ。
「漢字」と「感じ」。
同じ響きが、まったく異なる世界を呼び起こしてしまったのだ。
私は肩を震わせそうになるのを必死で堪えた。
佐藤さんは、口元ひとつ動かさず、淡々と「かしこまりました」とだけ答え、必要な情報を丁寧に聞き取り、電話を切った。
電話機のプラスチックの冷たさが、彼女の手にしっかりと残っていたはずだ。
彼女は席に戻ると、私の方をちらりとも見ずに、ただ事実だけを短く、静かに伝えてきた。
「いま、お名前の漢字を伺ったら、向こうが『小太りで、眼鏡で』って言ってきて……」その声には、困惑も、戸惑いも、微笑みすらも混じっていない。
ただ、淡々とした事実の報告。
それゆえに、かえってその場の滑稽さが引き立つ。
オフィスの空気は、ますます静けさを増し、まるで笑いを堪える重さで満たされた。
佐藤さんの涼やかな横顔——その端正な輪郭の中に、微塵も揺れのない瞳。
彼女の内面にほんの少しでも動揺が走ったのか、それともこの状況すら涼やかに受け流しているのか、私には分からなかった。
けれど、私なら間違いなく、受話器をそっと手で押さえ、肩を震わせて大笑いしてしまっただろう。
そして、数分後にふとこの出来事を思い返しては、また二度三度と笑いが込み上げてきてしまうに違いない。
それにしても、日常の中でふと訪れる、こんな小さなユーモアの瞬間——それをクールな表情のまま、まるで水面に浮かぶ白い睡蓮のように、静かに語る佐藤さん。
その姿が、このオフィスの、少し乾いた空気と淡い午後の光の中で、ひときわ鮮やかに浮かび上がって見えたのだった。
仕事・学校の話:静けさに満ちたオフィスで交錯した、伝言の「感じ」と「漢字」が生んだ思いもよらぬ喜劇
静けさに満ちたオフィスで交錯した、伝言の「感じ」と「漢字」が生んだ思いもよらぬ喜劇
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