恋愛の話:線香花火の終わるとき——夏の果てに訪れた告白

線香花火の終わるとき——夏の果てに訪れた告白

📚 小説 に変換して表示中
夜の帳が静かに山間の合宿所を包み込むと、空気は昼間の熱を失い、ほのかに湿った土と草の匂いが立ちのぼっていた。
私はその夜、サークルの夏合宿の終わりを惜しむように、仲間たちと中庭に集まっていた。

 誰かが持ってきた花火を囲み、笑い声が夜空へ吸い込まれていく。
火薬の甘い匂いが鼻をくすぐり、遠くの湖からはカエルの声がかすかに聞こえてくる。
私ははしゃぐ輪から少し離れて、黙って火花の舞い上がる様を眺めていた。
こんなふうに、社会人になった自分が、青春の残り香に包まれるとは思いもしなかった。

 ふいに肩越しに声がした。

「一緒に、花火やってもいい?」

 声の主はOくんだった。
彼は同期で、いつも穏やかに微笑む、どこか水面の静けさを思わせる人だ。
私は深く考えずに頷いた。
「うん、いいよ」と。
彼の右手がそっと線香花火を差し出し、私は受け取った。

 二人きりで火をつける。
小さな火球が、闇の中で儚く揺れる。
静寂が私たちを包み、世界がふたつきりになったような錯覚に陥った。

「……ずっと、こうしていたかったんだ」

 Oくんの声が、線香花火の火花よりもかすかに震えていた。
私は思わず彼の横顔を見つめる。
夜風が彼の髪をそっと揺らし、横顔に影を落としている。

「合宿が終わっても、サークルの外でも、ずっと美香と一緒にいたい」

 その言葉は、思いがけない重みをもって私の胸に落ちた。
鼓動が、花火の炸裂に合わせて跳ね上がる。
私は何も言えず、ただ線香花火の火の粉が静かに落ちていくのを見つめていた。

 やがて、最後の火球が地面に落ち、ふっと闇に溶けた。

「……じゃあ、みんなのところに戻ろうか」

 Oくんが、努めて平静を装った声で言う。
そのとき、私は自分でも気づかぬうちに、彼の服の袖をぎゅっと掴んでいた。

「まだ……戻りたくない」

 その声は、私自身のものとは思えないほど小さく、震えていた。
Oくんの腕がそっと私を包み込む。
温もりが夜の冷たさを溶かし、私の心の奥底で、長く凍てついていた何かがゆっくりと解けていくのを感じた。

 花火の煙が、夜空へ細く昇っていく。
その先に、まだ見ぬ新しい季節が、静かに私たちを待っているような気がした。
読了
スワイプして関連記事へ
0%
ホーム
更新順
ランダム
変換
音読
リスト
保存
続きを読む

コメント

まだコメントがありません。最初のコメントを投稿してみませんか?

記事要約(300文字)

ダミー1にテキストを変換しています...

0%
変換中