修羅場な話:春の雨、壊れた家族の輪郭に

春の雨、壊れた家族の輪郭に

📚 小説 に変換して表示中
雨粒が窓を叩く音が、早朝の静寂に柔らかく染みこんでいた。
私はキッチンの片隅に立ち、コーヒーの苦味を口の中に広げながら、ぼんやりと外を眺めていた。
湿った空気の中、街路樹の葉がわずかに揺れる。
もうすぐ春が来るのだろう。
だが、私の胸の奥にはどこか薄氷のような冷たさが残っていた。

 義兄嫁と初めて会った日も、こんな曇り空だった。

 彼女はバツイチで、小さな男の子を連れていた。
義兄の隣で、やや強ばった笑顔を浮かべながら、私と私の息子に手を差し伸べてきた——まるで、その瞬間から家族の絆を作ろうとするかのように。

 「ほら、遊んできなさいよ」
 そう言って、私たちの子ども同士を無理に手を繋がせようとした彼女の手は、どこか震えていた。
私は困惑したまま、ただ曖昧な笑みを返すことしかできなかった。

 それからというもの、義兄嫁は何かに追われるように、私たちの間に距離を詰めてきた。
私の息子と彼女の子どもを、無理やり遊ばせようとする日々。
彼女の焦燥が、言動の端々から滲み出ていた。

 私の夫も、その違和感に気づいていた。
ある夜、彼は義兄に電話をかけて、義兄嫁とその子どもの「無理強い」について話した。
けれど、その会話は新婚の義兄夫婦の間に、目に見えない亀裂を生んだだけだった。

 連れ子の養子縁組の話も、いつの間にか立ち消えになった。

 それなのに、義兄嫁は「私さんが協力しないせいだ」と、妙な理屈で責任を私に押し付けてきた。
なぜ夫ではなく、私なのだろう。
理由は、今も霧の中である。

 時が流れるにつれ、義兄夫婦の仲は冷えきっていった。

 そしてある日、私の家の電話がけたたましく鳴った。

 「家の中ぐちゃぐちゃで、もう限界なの」
 電話口の義兄嫁の声は、涙に濡れていた。
私は深い溜息と共に、胸の奥で警鐘が鳴るのを感じた。

 ——彼女が、子どもを連れて私の家に避難してきたのは、その日の夕暮れだった。

 玄関のドアを開けると、雨に濡れた彼女が、ボロボロの姿で立っていた。
髪は乱れ、頬には紫色の痣が浮かんでいる。
子どもの手を強く握りしめ、義兄と目が合うや否や、声を荒げた。

 「うらぎりものー!」
 その叫びは、湿った空気を切り裂いて、家中に反響した。
彼女はそのまま、夜の闇に溶けるように駆け去っていった。

 私は義兄から、断片的な事実だけを聞かされた。
夫婦喧嘩の最中、子どもがカッターを持ち出し、義兄を刺したという。
義兄は腕を骨折し、義兄嫁の顔には痣が残った。
警察が呼ばれ、家の中は修羅場となったのだ。

 子どもはまだ小学生だった。
母を守ろうとしたのかもしれない。
だが、刃物を手にするには、あまりにも幼い手だった。

 義兄嫁が子どもを私に預けようとしたことがあった。
「一時間だけ」と懇願されたが、一時間が過ぎても彼女からの連絡はなかった。
義兄に連絡し、子どもを引き取ってもらった。
その間、私の息子は泣きじゃくり、義兄嫁の子は乱暴に振る舞った。

 あのとき、私は決意した。
どんなに頼まれても、もう預かることはない、と。

 春の雨が静かに降り続いている。

 窓の外、街路樹の緑が濡れて光っていた。

 家族とは、何だろう。
それは、柔らかな繋がりなのか、それとも脆く壊れやすい幻なのか。

 私はカップの底に残る冷めたコーヒーを見つめながら、答えのない問いを胸に、そっと瞼を閉じた。
読了
スワイプして関連記事へ
0%
ホーム
更新順
ランダム
変換
音読
リスト
保存
続きを読む

コメント

まだコメントがありません。最初のコメントを投稿してみませんか?

記事要約(300文字)

ダミー1にテキストを変換しています...

0%
変換中