雨粒が窓を叩く音が、早朝の静寂に柔らかく染みこんでいた。
私はキッチンの片隅に立ち、コーヒーの苦味を口の中に広げながら、ぼんやりと外を眺めていた。
湿った空気の中、街路樹の葉がわずかに揺れる。
もうすぐ春が来るのだろう。
だが、私の胸の奥にはどこか薄氷のような冷たさが残っていた。
義兄嫁と初めて会った日も、こんな曇り空だった。
彼女はバツイチで、小さな男の子を連れていた。
義兄の隣で、やや強ばった笑顔を浮かべながら、私と私の息子に手を差し伸べてきた——まるで、その瞬間から家族の絆を作ろうとするかのように。
「ほら、遊んできなさいよ」
そう言って、私たちの子ども同士を無理に手を繋がせようとした彼女の手は、どこか震えていた。
私は困惑したまま、ただ曖昧な笑みを返すことしかできなかった。
それからというもの、義兄嫁は何かに追われるように、私たちの間に距離を詰めてきた。
私の息子と彼女の子どもを、無理やり遊ばせようとする日々。
彼女の焦燥が、言動の端々から滲み出ていた。
私の夫も、その違和感に気づいていた。
ある夜、彼は義兄に電話をかけて、義兄嫁とその子どもの「無理強い」について話した。
けれど、その会話は新婚の義兄夫婦の間に、目に見えない亀裂を生んだだけだった。
連れ子の養子縁組の話も、いつの間にか立ち消えになった。
それなのに、義兄嫁は「私さんが協力しないせいだ」と、妙な理屈で責任を私に押し付けてきた。
なぜ夫ではなく、私なのだろう。
理由は、今も霧の中である。
時が流れるにつれ、義兄夫婦の仲は冷えきっていった。
そしてある日、私の家の電話がけたたましく鳴った。
「家の中ぐちゃぐちゃで、もう限界なの」
電話口の義兄嫁の声は、涙に濡れていた。
私は深い溜息と共に、胸の奥で警鐘が鳴るのを感じた。
——彼女が、子どもを連れて私の家に避難してきたのは、その日の夕暮れだった。
玄関のドアを開けると、雨に濡れた彼女が、ボロボロの姿で立っていた。
髪は乱れ、頬には紫色の痣が浮かんでいる。
子どもの手を強く握りしめ、義兄と目が合うや否や、声を荒げた。
「うらぎりものー!」
その叫びは、湿った空気を切り裂いて、家中に反響した。
彼女はそのまま、夜の闇に溶けるように駆け去っていった。
私は義兄から、断片的な事実だけを聞かされた。
夫婦喧嘩の最中、子どもがカッターを持ち出し、義兄を刺したという。
義兄は腕を骨折し、義兄嫁の顔には痣が残った。
警察が呼ばれ、家の中は修羅場となったのだ。
子どもはまだ小学生だった。
母を守ろうとしたのかもしれない。
だが、刃物を手にするには、あまりにも幼い手だった。
義兄嫁が子どもを私に預けようとしたことがあった。
「一時間だけ」と懇願されたが、一時間が過ぎても彼女からの連絡はなかった。
義兄に連絡し、子どもを引き取ってもらった。
その間、私の息子は泣きじゃくり、義兄嫁の子は乱暴に振る舞った。
あのとき、私は決意した。
どんなに頼まれても、もう預かることはない、と。
春の雨が静かに降り続いている。
窓の外、街路樹の緑が濡れて光っていた。
家族とは、何だろう。
それは、柔らかな繋がりなのか、それとも脆く壊れやすい幻なのか。
私はカップの底に残る冷めたコーヒーを見つめながら、答えのない問いを胸に、そっと瞼を閉じた。
修羅場な話:春の雨、壊れた家族の輪郭に
春の雨、壊れた家族の輪郭に
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