怖い話:春の光に溶けたアッガイ——少年たちの秘密基地と消えた友の記憶

春の光に溶けたアッガイ——少年たちの秘密基地と消えた友の記憶

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春の終わり、桜の花びらが舗道に薄紅の絨毯を敷き詰める頃。
小学四年生だった僕は、けんちゃんととしちゃんと三人で、学校の裏手にある雑木林の奥、古びた街灯の下に秘密基地を作った。
枯れ枝とブルーシート、そして幼い夢のかけらが、そこには確かに息づいていた。

 放課後の空はまだ明るく、しかしどこか心細さを含む。
ランドセルを放り投げ、僕たちは毎日のようにその小さな王国に集まった。
土の匂い。
葉擦れの音。
遠くで犬が吠えていた。
透明な時間が、そこには流れていた。

 ある日、アブちゃんが現れた。
教室ではあまり目立たない、どこか影の薄い彼が、両手いっぱいにガンプラを抱えて。
「まぜて」と小さな声で言った。

 その瞬間のことを、今でも鮮明に覚えている。
彼の腕に抱かれたプラスチックのロボットたち——ザク、グフ、そしてアッガイ。
陽射しの中で、まるで未知の宝物のように輝いていた。

「それで遊べるんやろ?」

 けんちゃんが言い、僕もとしちゃんも頷いた。
単純な理由だった。
けれど、子どもの世界はそれで十分だった。

 けれど、無邪気な時間は長くは続かなかった。
ガンプラを手にした途端、僕たちは妙な熱に浮かされたように、それを奪い合い始めた。
アブちゃんの顔が曇る。

「アッガイ、返してよ」

 細い声。
僕はなぜか、意地になった。
小さなプライドが、心のどこかで膨らんでいた。
取り合いは激しくなり、言葉もぶつかり合う。

 そのときだった。

「いややぁ!」

 アブちゃんが叫んだ。
声は空気を切り裂き、林の静けさが一瞬、色を失った。
耳の奥で金属音のような「キーン」という音が響き、世界が歪んだように感じた。

 気づけば、アブちゃんが宙に浮いていた。
信じがたい光景だった。
彼の身体はふわりと浮かび、僕の目の前で、重力から解き放たれたかのように揺れていた。

 恐怖も、驚きも、言葉にはならなかった。
僕もけんちゃんもとしちゃんも、ただ見つめることしかできなかった。
手も足も、まるで石になったように動かない。

 アブちゃんは、秘密基地の中央にそびえる街灯のポールの上に、そっとアッガイを置いた。
その仕草は、まるで儀式のようだった。

 地面に降り立つと、彼は一度も僕たちを振り返ることなく、林の奥へと走り去った。
彼の背中が、木漏れ日の中で揺れていた。

 沈黙だけが残った。
風がブルーシートを揺らし、遠くで鳥の声がした。
僕たちは顔を見合わせることもなく、ランドセルを抱え、無言で家路についた。
足元の小石が、やけに大きな音を立てていた。

 翌朝、アブちゃんは学校に現れなかった。
教室の窓から見える空は、昨日よりも少し霞んでいた。
誰も彼の話をしなかった。
次の日、彼が引っ越したという噂だけが、廊下の隅で囁かれていた。

 秘密基地へは、もう行かないことにした。
あの日から、あの場所は陰りを帯びた別世界の入口になってしまったのだ。
それぞれが持ち寄ったおもちゃを回収するため、最後に一度だけ三人で出かけた。

 夕暮れ。
林の隙間から射し込む光は、柔らかくもどこか哀しげだった。
無言で片付けをしていると、としちゃんが街灯のポールを蹴った。

「夢やったんやよな……」

 彼の呟きは春の風に溶け、消えそうになった。
そのとき、不意に何かが落ちてきた。

 アッガイだった。
だが、その左腕は……まるで溶けたチョコレートのように、黒く、柔らかく、変形していた。

 言葉を失い、僕たちはしばらくそれを見つめていた。
現実と夢の狭間で、何かが静かに崩れる音がした気がした。

 それ以来、ガンダムのモビルスーツを見るたびに、胸の奥に冷たいものが走る。
あの春の日の記憶は、今もなお僕の中で、静かに、しかし確かに息づいている。
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