六月の雨は、街を淡いヴェールで包み込んでいた。
朝からしとしとと降り続くその雨は、私の心にも薄い靄をかけているようだった。
ホテルの窓越しに眺める、濡れたアスファルトと行き交う傘の波。
今日は友人の結婚式。
祝福の席にふさわしい晴天ではなかったが、むしろこの曇天が、私の胸の内をそっと代弁しているように思えた。
なぜこんなにも気が重いのか。
理由ははっきりしていた。
大学四年間を共に過ごした元恋人が、この宴に招かれていることを、私はすでに知っていたからだ。
彼と過ごした日々は、遠い春の桜並木のように、どこかぼやけて、それでも色彩を失わずに私の記憶の中にあった。
価値観の違い――そんな言葉で別れを納得させて、就職とともに道を分けた。
よくある話だ、と自分に何度も言い聞かせてきたが、それでも今日、再び彼と向き合うことになるとは思わなかった。
披露宴会場は、シャンデリアの光がグラスに反射し、笑い声と祝福の言葉が絶え間なく交錯していた。
私はテーブルの端に座り、白ワインを指でなぞる。
耳に届くピアノの旋律が、心を少しだけ軽くする。
ふと、彼の姿を探している自分に気づき、苦笑した。
大人びたスーツ姿。
変わらない髪の癖。
あの頃と同じ眼差し――彼は、記憶の中のまま、そこに立っていた。
胸が小さく跳ねる。
安堵。
だが、それも束の間だった。
酒が回り出した頃、誰かが無邪気に「そういえば、二人って付き合ってたよね」と話題を振った。
空気が一瞬揺れる。
乾いた笑い声。
私は咄嗟にグラスを手に立ち上がり、会場の外へと足を運んだ。
テラスには湿った初夏の風が流れ込んでいた。
雨上がりの土と草の匂いが、記憶の底をかき混ぜる。
ガラスの手すりはひんやりと冷たく、私はカクテルの氷を舌の上で転がした。
別れた理由なんて、今思えば本当に些細なことだった。
あの時の私たちは、若さという名の鎧に包まれたまま、互いの手を放してしまったのだ。
「元気してた?」
背後から聞き慣れた声がした。
驚きと戸惑いが、私の中で静かに波紋を広げていく。
振り返ると、彼がそこにいた。
雨粒を弾いた髪、少し照れたような微笑み。
「うん、まあ……」としか答えられなかった。
言葉が、喉の奥に絡まって、うまく外に出てこない。
沈黙を破ったのは、彼の方だった。
「別れてから何人かと付き合った。
でも……お前といる時が一番自然だった。
今日、やり直したいと思って来たんだ」
冗談めかして、私は「友人の結婚式で何を言ってるの?」と返した。
けれど、心の奥底では、嬉しさと戸惑いが静かにせめぎ合っていた。
雨音が、遠い記憶の扉を叩いている。
私は、目を伏せたままゆっくりと言った。
「私も、そう思ってた」
その瞬間、二人の間にあった見えない壁が、ふいに消えていくのを感じた。
テラスの外では雨がやみ、雲の切れ間からわずかに陽が差し込み始めていた。
祝福の鐘の音が微かに響き、私たちは再び、歩き出すことを選んだのだった。
恋愛の話:春の雨音が消したはずの約束――結婚式のテラスにて
春の雨音が消したはずの約束――結婚式のテラスにて
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