「見知らぬ個室での対話―トイレの壁越しに現れる無意識的防衛と対人境界」

本エピソードは、公共の場（TSUTAYAのトイレ）というプライベートとパブリックの境界が曖昧になる空間で、予期せぬ対人接触が生じた事例である。
まず、主人公（語り手）が個室へ入るという行動は「プライバシーの確保」という基本的欲求に基づく。
しかし、隣の個室から突然話しかけられるという状況は、一般的な社会的規範（「トイレ内で見知らぬ他者と話さない」）から逸脱しており、主人公にとって不意打ちとなった。

この「普通は個室越しには話しかけないだろう」という内言は、社会的スキーマに基づく期待違反への反応である。
この時点で主人公は戸惑いと警戒（驚き）を感じており、これは「安心・安全な空間への侵入」に対する心理的な不快感として表出している。
ここでの「正直『は？』って思ったけど」という反応は、認知的不協和の発生を示唆する。
すなわち、「ここで話しかけられるはずがない」という信念と、実際に話しかけられたという現実が衝突し、心理的な緊張が生じている。

この場面で、主人公は「仕方なく『こんちはっす』と返した」と述べている。
これは社会的望ましさバイアスや、協調性を重んじる日本文化に根ざした「回避的適応」であり、直接的な拒絶や敵意の表明を避ける防衛機制（例：合理化、同調）が働いていると考えられる。

続く「最近どう？」という隣人の発言は、通常の対人関係における雑談の入り口であるが、この場面では状況不適切であり、主人公は「適当に返した」と述べている。
この「適当な返答」もまた、葛藤回避・波風を立てたくないという動機が無意識的に働いている可能性が高い。
愛着理論的にみると、主人公は「回避型愛着スタイル」の傾向を示しており、親密な対話や感情の交流を避け、形式的な応答で自他の心理的距離を保とうとしている。

突然隣人が「ちょっとかけ直すよ、隣に変なのがいる」と小声で呟く場面では、両者の心理的防衛がより鮮明になる。
隣人は自分の突飛な行動に対する不安や、自己意識の高まりから、違和感の原因を外部（主人公）に投影し、「自分は正常、変なのは隣」という形で自己を守っている。
この「投影」という防衛機制は、自身の不適切な行動や不安感を他者に帰属させることで、自己評価の維持を図る無意識的な戦略である。

総括すると、この一連のやり取りには、公共空間での対人境界の維持、社会的規範への適応・逸脱、認知的不協和の処理、投影と回避という防衛的コミュニケーションなど、複数の心理的メカニズムが複雑に絡み合っていることがわかる。
もし主人公がより自己主張的な対応（例：「今話しかけないでください」など）をしていれば、状況は異なる展開を見せていた可能性があり、自己効力感の発揮や新たな対人スキルの獲得といった成長の芽も考えられる。
一方で、こうした「曖昧な場での不適切な接触」に適切に対処する術を身につけることは、現代社会における心理的ウェルビーイングの重要な要素であるといえる。