昭和末期の家族像と社会的孤立：崩壊する家庭の舞台裏を読み解く

この物語の舞台となった昭和末期から平成初期（1980〜90年代）の日本は、高度経済成長を経てバブル景気の頂点にありながら、家庭内の在り方や夫婦間の価値観が大きく揺れ動いた時代でした。
当時、世間一般では「家族は一つ屋根の下で助け合うべき」という価値観が根強く、家族内の問題が表面化しにくい雰囲気がありました。
家庭内不和やDV（ドメスティックバイオレンス）は、まだ社会的に語られにくい“タブー”の領域であり、特に地方や中小都市では「家の恥は外に出すな」という同調圧力が色濃く残っていました。

この夫婦の関係性も、そんな社会背景の中で悪化していきます。
夫婦間の不仲は、時代的には「妻は家事・育児、夫は外で働く」という固定的なジェンダー観が強かったこと、また経済的ストレスや地域コミュニティの閉塞感が個人の心理に陰を落とすことが大きな要因となっていました。
夫は、幼少期から“男は弱音を吐くな”という教育を受け、感情表現が苦手なまま大人になり、妻もまた、社会的な孤立感を抱えやすい環境下に置かれていた可能性があります。

地域的には、物語の舞台が都市近郊の住宅地であった場合、隣近所との付き合いも形式的になりやすく、家庭の中で起きる異変に外部が気付きにくい構造がありました。
住宅の建築様式も個室化が進み、家族の物理的・心理的距離が広がりつつあった時代です。
また、移動手段や都市インフラの発達により家族の個々人がバラバラに生活することが増え、家族内のコミュニケーション不足が深刻化していました。

さて、夫が事件を起こした後、子供の反応が異様なまでに薄かった点にも、複数の社会的・心理的要因が考えられます。
当時は子供の感情や心理に配慮する文化が十分に根付いておらず、「子供は大人の事情に口を出すべきでない」といった教育観が一般的でした。
加えて、家庭内で不穏な空気が長く続くと、子供は無意識に“見て見ぬふり”や“適応的無関心”を身につけることが多く、これが表面的な無反応として現れたのかもしれません。

最後に、子供が発した「なんでお父さんはいつもお母さんをおんぶしてるの？」という言葉は、現実と幻想の境界が曖昧になる心理現象（例えばトラウマやストレスによる幻視）や、幼い子供特有の死生観の未発達さを示しています。
当時の日本社会では、死について子供に率直に語ることが避けられ、子供自身も“見えないもの”や“言えないもの”を心の中で処理するしかない状況に置かれていました。

この物語は、家庭の崩壊が個人の問題に矮小化されやすい社会構造、そして子供の心の叫びが見過ごされがちな文化的背景の中で生まれた、“家族”という日本社会の縮図を象徴的に描いているのです。