「裏の世界」と女子中学生――平成期の図書館と孤独、現代日本社会の影

本作の舞台は約十年前、平成も終盤に差しかかった時期の日本社会である。
この時代は、バブル崩壊後の長引く経済停滞が続き、社会全体に閉塞感が漂っていた。
一方で、インターネットと携帯電話の普及によって人々のコミュニケーション様式が大きく変化しつつあり、若者の間では「リアルなつながり」から「デジタルなつながり」への移行期でもあった。

物語の主人公は、地方都市の女子中学生。
彼女は友人関係に恵まれず、学校生活に居場所を見いだせずにいた。
こうした「孤独な若者」は、この時代の日本で決して珍しい存在ではなかった。
進学競争や周囲の同調圧力が強い学校社会の中では、集団から外れることが大きな不安材料となり、図書館のような公共施設が一時的な避難所となるケースも多い。
学校図書館は、日本の教育制度の中で「知の拠点」として位置付けられる一方、しばしば社会的に孤立した子供たちの隠れ場所としての役割も担っていた。

この小さな図書館の蔵書数は限られており、主人公はすぐに興味のある本を読み尽くしてしまう。
ここからは、地方都市特有の閉塞感や、公共資源の限界という問題も浮かび上がる。
図書館の奥深くに眠っていた「沈まぬ太陽」という謎めいた本（あるいは小冊子）は、現実と幻想、日常と非日常の境界を揺るがす象徴的な存在として物語に登場する。
こうした「正体不明の本」や「呪いの書」は、日本における都市伝説や怪談の系譜にも連なるモチーフであり、戦後日本の大衆文化に根強く残る「異界への入り口」として機能している。

本作における「裏の世界」の描写――黒く濁った海、赤い空、奇怪な魚や鳥――は、現実世界の不安や不穏な社会心理の反映とも読み取れる。
平成後期の日本では、自然災害への不安や、原発事故後の社会的トラウマも記憶に新しい。
「空気が濁っているように感じた」「見たこともない景色が広がっていた」といった感覚描写は、個人の内面の揺らぎと、時代の不安定さが共振する瞬間である。

物語の後半では、主人公が現実と夢・幻覚のあわいで経験した出来事が、実際の身体的な傷や、友人の死といった「現実の事象」として現れる。
これは、個人の精神世界と現実社会の「相互作用」の象徴であり、思春期の心の脆さや、社会における若者の孤立といった問題をも浮き彫りにしている。
主人公を助けた釣り人が亡くなった叔父であったことや、クラスメイトのKが本の呪いに取り憑かれて自殺したというエピソードは、「家族・血縁」「学校コミュニティ」という中間共同体が、時に個人を守り、また時に孤独を深める二面性を持つことを示唆している。

また、図書館の本が消失し、Kが「呪いの書」として燃やしたという伝承は、地域コミュニティにおける「異物」の扱い方、すなわち伝統的な排除と忘却のメカニズムを映し出している。
学校という小社会では、目に見えない同調圧力と排除の力学が働き、時に弱者や異質な存在がスケープゴートとなる。
Kの自殺は、このような閉塞した人間関係や社会構造の犠牲とも考えられる。

最後に、主人公がその後普通に大学を卒業し社会人となる一方で、「作者不明の本は読まない」という態度を取るに至ることは、一種の「サバイバーとしての自己防衛策」とも言える。
現代日本社会では、自己責任論やリスク回避の意識が強まり、未知や異質なものへの関わりを避ける傾向が見られるようになった。

本作は、一見幻想的な怪談の体裁をとりながら、平成後期の日本社会における孤独、排除、越境、そして若者の不安や生きづらさを、個人の体験を通じて象徴的に描き出しているのである。